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「教える」「伝える」「伝わる」
こんにちは、チャイルドコーチングアドバイザー&チャイルドカウンセラーの荒木です。
昨日は、心地よい疲れで今にも寝落ちしそうなところを無理矢理に目を見開いてnoteを書いたので、とっちらかった文章をお見せしてしまいました。
(ん?いつもとそんなに変わらないって?うん…文章力はいつもかなり低いです😅)
昨日のバドミントンコーチ1 養成講習会は、自己紹介から始めました。
「正しいことを教えたい」という方々が多い中、私はどうしても「教える」という言葉を使うことができませんでした。
何故なら、私自身が全くの初心者ですから教えるなんて烏滸がましい、と思っているからです。関わる以上は、正しいことを教えるということは大切だと思います。できれば私もそっち側に行きたい。(泣)
私は自己紹介の時に「伝えたい」という言葉を選びました。自信のなさの表れでもあるのでしょうが、もうひとつはそれ故に、バドミントンを始める人と同じ目線でありたいという想いもありました。
私が初心者であり、まだまだバドミントンのことを知らなさすぎてということは否めません。テキストの中の「要求されるコーチの能力とは」の1には
『「バドミントンはどんな競技か」「それをどのように教えるか」を知っている』というのがまず書いてあります。そのとおりです。しかし私はまだバドミントンを知らなさすぎる人です。
でも…それをデメリットで使うのではなくて、できればメリットとして使いたい、という欲張りな思考なのです。自分の欠点を逆手にとる作戦!
「共に学び共に成長していこう」という私なりのスローガンを打ち立てて、まずは私が学んでくるよ、そしてそれを伝えるよ、と言った具合です。
伝えるは、単に伝えるだけではなくて、「伝わる」ことを目的としたいと考えてます。
それには私自身が「なんとなく」ではなくて、「腑に落ちる」ところまで理解していることが大事になってくるんだろうな、と思うのです。
子どもと接している時に、一生懸命伝えていても子どもの頭の上に「?」が浮かんでいることがあります。(顔は困り顔)これが「!」になると「伝わった」瞬間(顔は笑顔)を感じることができるという経験、ありませんか?
そういう「伝わった」と思えた瞬間がたまらなく嬉しくて、お互いに「やったー!」と叫びたくなることが経験でありました。
「できた」に出会えた時、それに立ち会えた時は同じ気持ちを共有できたにもなったりすると思うんですよね。
そこに辿り着けるように、今回はがむしゃらに探究心を出してみようと決意しております。
基礎の基礎であるラケットの持ち方から指摘された私です。
今日からネットでもなんでも使って、(バドミントン経験者である息子も使って)徹底的に腑に落ちるまでやったろやないかい!と思ってます。
今朝もココさんと散歩しながら、手首の使い方を考えてました。
昨日、講師の方に指摘されて手首がリリストスタンドではなく横に開いていることがわかったのです。私はそれをリストスタンドと勘違いしていた、ということになります。
私はスポーツは中高とバスケットをしていました。シュートを打つ時は手のひらにボールをのせて構えるですね。それがクセとして残っているのか、手首が開いている(折れ曲がっている)と教えていただきました。
腕の肘の近いところの前腕に痛みが出るのはそのせいだそうです。
これに関してはとても納得できました。現在、「じゃ、どうすればいいの?…」という本当に初心の初心で躓いています。
しかし、原因がまずわかったことが「伝わった」になりこれを知ることで同じような間違いを起こしているかもしれない人がいたら伝わるところまで伝える自信がつきました。(あくまでもポジティブに捉える練習)
ほんの少しずつですが、自分の中の伝わったを増やして、正しいことを伝えられるよう、そしてそれが伝わるような工夫を忘れずに、頑張ります。
じゃ、また!