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無謀なチャレンジ?
チャレンジしたいことがある。私にとっては2年計画の予定だが、おそらくそんなに簡単なことではないらしいということを最近気づいた。(遅っ…)
バドミントンの指導者資格を目指している。コーチングアシスタントの資格は既に取得した。
あとは審判三級を取り、指導者資格という順番だ。
実は私自身はバドミントン経験は0に等しい。
子ども3人いて1人はバスケットボール、そして2人はバドミントン経験者である。
子どもが経験していたことで、バドミントンはのことはある程度知識はある。
しかし、試合経験もなければ、基礎打ちもまともに出来ない。
ただあるのは、気持ちだけ…(苦笑)
「お母さん、やっぱ基礎打ちくらいは練習したほうがいいと思う」
…と息子に言われた。
そりゃ、そうだ、
指導者資格を取るときにはもちろん実技もあるのだから。
そう言われて、この間から基礎打ちを息子に教わることとなった。
頭では理解できているのに、体がついていかない現実を突きつけられた。
致命的なのが関節。
特に右肩は、整形外科の先生にも指摘されているのだか石灰化しているところがあるらしく、ラケットを振ると痛みがある。
バドミントンにはクリアというのがある。シャトルをコートの端から端まで大きく打つのだが、全然飛ばないのだ。
息子は、いとも簡単に打っているのに対し、私は力任せに打っても飛ばないし、そのうち体力切れでハァハァ言う。
おそらく、打ち方も間違っているのだろうとは思うのだけれど、コツも掴めず…。
実技ではなく面接とかあれば私の想いを伝えられて、その気持ちを買ってくれないだろうか、などと、絶対ムリなことまで考えてしまう始末。
しかしだ、そんな変わり種がバドミントン界にいてもいいのではないか。いてもいいじゃなくて「いた方がいいのだ」と思っている。
同じ方向性をばかり見ていると、視野が狭くなる。そのスポーツ界で育った人というのは考え方が狭くなっているところがある。そういう人ばかりだとはもちろん思ってないが、自分が受けたことが全てで正しいと考えてしまいがちな人が私の周りにはいる。時代と共に自分の思考や知識を更新することが大切だと思うのだが、人は変わることを恐れる。私の世代(50代から上)は特に経験値にものを言わせる人が多いと思ってしまう。
先日観たYouTubeの乙武さんの「情熱教室」の中の為末さんとの対談の中で
「脱体育化してスポーツマンを育てていくにはどうしたらいいか」という乙武さんの質問に対して為末さんが
「一番いいのは風通しだと思いますね」と話されていた。
スポーツの協会は人が固定化されて変わらないので一般の人が入ってコンプライアンス違反だとかこれはハラスメントだとか全部チェックするといいのではないかということを仰っていた。
そうなのだ、私はそれを目指している。
経験のある指導者からみたら私は異端児だろう。
経験もないものが、指導者になるなんてもってのほか。何がわかるというのか。
そんな声が聴こえてきそうだ。(笑)
どのスポーツにおいても、経験があるかどうか、指導者資格があるかどうかが重んじられ、他の資格を持っていようとも(コーチングという類のものでも)認められることはない。
経験がある人たちが認められるのは指導者資格があるかどうか、なんだと思う。
子どもたちの環境を少しでも風通しのよいものにしたい。
その想いは今でも変わらない。
私のような経験のないものが指導者を目指す意味、目的。
無謀なチャレンジは、これからもまだまだ続く。
亀の歩みかもしれないが、頑張ろう。