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ネタバレ全開!Y&A特撮フカボリLabo 8 『仮面ライダーウィザード』
理想の大人と善良な子ども
今回取り上げたいのは、『仮面ライダーウィザード』。中でも現在、『仮面ライダーガヴ』でグイグイとファンを引き付けている香村純子氏の脚本回に注目したい。
ぶっちゃけてしまうと、私は「イマイチだな」と感じた時点で距離を取ってしまうレベルの、恐らく良くて”中級”の特撮ファンなので、『響鬼』以降、特撮から少し離れていた時期があった。再燃したのは放映後しばらく経ってから『オーズ』を知って再びドはまりしてから。『ウィザード』もその勢いで続けて観た。
そのため観はじめた当時は、『響鬼』以来のメインライターを務めるきだつよしさんに注目していた。
が、見進めていくうちに私のセンサーに引っ掛かる回に必ず名前が上がる脚本家さんがいることに気付いた。それが香村純子さんだった。
気になる回もあったので『ウィザード』は都合、2周した。が、見直してみてもやっぱり香村さんの脚本回はよかった。
その一番象徴的な回が第12話「希望の和菓子」、第13話「夢を継ぐ者」に登場する和菓子職人・松木昭造である。諏訪太郎さん演じる彼は、立場としては瞬平の先輩・稲垣徹也の就職先の和菓子屋の店主。自分の店を切り盛りし、更にその腕前を買われているらしく、大きなデパートからもオファーを受けるほどの職人である。
ところが彼はファントムから同じファントムを生み出す”ゲート”として目を付けられ、その罠にはめられて作った菓子を台無しにされてしまう。結果、大事な取引先のデパートへの納品ができなくなってしまった彼の店は、無念のうちに廃業に追い込まれる。
ファントムとしては、本来ならここでおやっさん(松木)が絶望して、新たなファントムを生み出してくれるシナリオだった…。だったはずだが、彼はただ淡々とこの件を「自分の不始末」と割り切り、その責任と結果を引き受け、店を畳む。その原因が人災でも天災でもないファントムの仕業、と知った上で、の話なのだ。いや、むしろこの人はファントムの引き起こしたトラブルも天災の一つ、と捕えている節さえ見受けられる。
それだけでなく弟子の稲垣についても、知り合いの大手の和菓子屋に赴き、雇ってやってくれ、と頭を下げる。映像に映ってはいなくてもそれまでの描写で、彼がお遍路さんのように知り合いを訪ね歩いたことが容易に想像できる。
自分が生きるための収入源を失ったにもかかわらず、松木のおやっさんは最後までそんな形で弟子のために奔走する。
香村さんの描くこういうタイプの大人は、常に強く、清い。別の話で2ndライダーである仮面ライダービースト・仁藤攻介の祖母・敏江もまた、孫を厳しくしつける人物として描かれる。だがいざ命のやり取り、という場面では何の躊躇もなく、自分の命を差し出すことをファントムに向かい堂々と宣言する。圧倒的な力の差を見せつける、異形の怪物・ファントムの姿を初めて目にしたはずなのに。怯えるそぶりを一切、見せずに。
彼らはいわゆる、(以前から事あるごとに揶揄される)「老害」とは対極の大人たちだ。これこそが「理想の大人」と快哉の声を上げる人も多いだろう。
私もこういう気高い大人でありたいものだ、と心底憧れる。けれど先にも触れた「老害」問題だって、逆に自分が老齢になってそう言われたら「ええ、若い者のために私の命を差し出します」なんて物分かりのいいことは言えないだろう。それどころかどんなに決心を固めたつもりでいたって、いざ、自分の命(いや、それどころか松木のおやっさんのように)収入がなくなるだけでも、もうみっともなく泣きわめき、未練がましく恨み言を吐きながら、涙にまみれて死にそうなことは容易に想像がつく。声を大にして老害、と叫べない、これを賛同しきれない理由はそこにある。(みんな、そんな気持ちとは無縁の、強い精神の持ち主なのだろうか…。そうなのかもしれない)
ただ、いざとなったらそう言えることを目指して、心を鍛えることだけは続けていたいと、香村さんの語る物語を目にするたびに自分に刻み付ける。 香村さんの描く大人は、私にとってはそんな存在だ。
そして香村さんのもう一つの特徴、それは子どもがどこまでも”善良”なことだ。これは第40話、第41話での初登場でありながら、物語の重要な展開のカギを握る飯島譲少年の性格に如実に表れている。
中学生にして自転車に乗れない譲は、仁藤が自転車を使ってファントムを撃退するところを目撃し、自分もどうしても自転車を乗りこなせるようになりたい、乗り方を教えて欲しい、と彼に頼み込む。
譲がそこまで強く願う理由。それは幼い頃、自転車に乗ろうとして事故に遭った時にさかのぼる。
いつものように公園に遊びに来た譲は、小さい子たちと仲が良く、面倒見もいい仲良しのお姉さん・朱里の自転車にふとした出来心で乗ってみたくなる。他の子ども達に気を取られている朱里を横目に、譲はまんまと自転車を持ち出し、意気揚々とまたがってペダルをこぎ出すことに成功。だが、慣れない操作にあっという間に公園の敷地を飛び出し、車と接触してしまう。
結果、監督不行き届きの上、息子に怪我をさせた、ということで譲の母に厳しく責められたのは朱里だった。以後、譲は朱里とはすっかり疎遠になってしまう。
ただ、幼いながら譲は知っていた。本当に悪いのは、勝手に朱里の自転車を持ち出した自分だ、ということを。そして理不尽に、且つ一方的に責められた朱里にせめて一言、詫びたい、と。けれどどうやったらその気持ちを伝えられるかわからずにいた譲。その目の前に仁藤が現れた、というわけだ。
事情を聴いて仁藤の協力を勝ち取った譲は、必死に自転車の練習に取り組む。そして飛躍的にスキルを上げた彼は、とうとうその腕前を朱里の前で披露し「朱里姉ちゃんは全然、悪くないんだ!」と叫び、ずっとわだかまっていた気持ちを告げる…。
だけなら、そのままほんわかと話は終わってしまうのだが、もちろんこれにはファントムの思惑が絡み、話はよりいっそう、こじれていく。が、その結末については是非、作品を観て、その目で確かめて欲しい。
話の顛末はともかくこの譲、という少年は、驚くほど純粋で善良な心の持ち主だ。そりゃあ自分が悪かった、と言い出せなかった罪悪感はあるかもしれない。美しい年上のお姉さん・朱里への恋心もあるかもしれない。けれど、「朱里姉ちゃんは悪くない!」の一言を伝えるために、何年も悩み、自分が自転車に乗れるようになったのを見せることで、事故のトラウマを克服したこと、ずっと謝りたかったことを伝えようとする子、いるだろうか。
…中々いないと思う。
香村さんの作品にはこういう善良な子どもがよく出てくる。ボクシングワルドによって操られたスーさんが、やっちゃんを殴ろうとするのを身をもって止めた『ゼンカイジャー』の界人。その時の第一声が「よくもスーさんにやっちゃんを殴らせようとしたな!」だった。殴られた自分より、殴らされたスーさんの身を案じるようないい子だ(いや、この時点でも20歳だから子ども、というより青年だが)。
現在、放送中の『ガヴ』のショウマも幼少期、あれほど軽んじられ、蔑まれてきたシータとジープの双子の兄弟の誕生日に「誕生日おめでとう」と花を差し出すような、善良さにかけては鋼鉄の心臓の持ち主である。
香村さんの描くような気高い大人や善良な子どもは、ひょっとしたらすでに絶滅危惧種なのかもしれない。もしも世界がこんな大人と子どもばかりだったら戦争なんて、高確率で起きないだろうと思うし。
でも、きっといる。確かにいる。むしろ大多数の人の心に、彼らは眠っている。どんなにキツイ世の中でも、私はそれを信じようと思う。例え「お花畑」と笑われようとも。狂人、と呼ばれようとも。