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ヒーローと私と母と娘

夕陽に向かって大好きなヒーローのポーズを決める娘。幼い彼女がいつか忘れてしまっても、彼女が心をあずけたヒーローが誰かは私が忘れない。

私が小さな頃、地元のテレビではウルトラマンや仮面ライダーの再放送があり、特にウルトラマンが大好きだった私は、4歳くらいまで、いわゆる女の子らしいと言われるオモチャを全く欲しがらず、人形を買いたいのに欲しがってもらえない母は、私が初めて着せ替え人形を欲しいと言った時に、喜びいさんで買いに行ったらしい。アルバムにはウルトラマンを両手に持ち、満面の笑みで写る幼い私。娘の顔は夫に生き写しで私には似てないのに、娘にそっくりである。

私が小さい頃に持っていたカセットテープに、お花畑の柄で中身はウルトラマンなテープがあった。母が私のために、ウルトラマンの歌を集めてダビングしたものである。母は、私のために、ウルトラマンの歌を集めてダビングし、おさがりのオモチャをもらってきたり、人づてに聞いて、デパートのイベントに連れて行ってくれたらしい。携帯もネットもない時代だから、イベントなんかは探すのが大変だ。今さらだが、花柄のカセットテープ。なぜ花柄なのか?安い空テープではなく、私のためにかわいい柄のカセットテープをわざわざ買ってきたのだ。そんな当たり前のことに、私は娘のためにヒーローショーを検索するまで気がつかなかった。親の心子知らずとはよく言ったものである。

さて、ヒーロー大好きな娘とニチアサを見るようになり、私はあっという間にヒーローの沼に出戻りしてしまい、仮面ライダーの冬映画をひとりで三回も見に行き、おいおい泣いてきた。20周年記念映画「平成ジェネレーションズFOREVER」の中で「仮面ライダーはテレビの中の絵空事」に対して「あの頃本当に俺のそばに仮面ライダーはいたんだ。覚えている限りライダーはいる」というアタルくんの言葉が私に突き刺さった。さらには「勝手に信じなくなったのはこっちなんだ」と。幼い頃は熱があると、座薬。座薬を嫌がらないこどもなどいない。そんな時母は「この中には小さなウルトラマンがいて、バイ菌をやっつけてくれるよ」と言うのだ。もちろん、幼い私にもそれが本当ではないことくらいわかっている。でもなんとなく頑張れる。そう、私のそばにはヒーローがちゃんといたのだ。

さらには映画の中では、助けを求める人々の前に自分が心をあずけたヒーローが来てくれる描写がある。夕陽に向かって大好きなパトレン1号のポーズを決める娘。幼い彼女がいつか忘れてしまっても、彼女が心をあずけたヒーローが誰かは私が忘れない。私には誰が来てくれるのだろう?母に聞いたらわかるんだろうか?

最後に、先日の帰省時にリュウソウケンをかまえる娘を横目に見ながら、母に「私が1番好きだったウルトラマンって何?」と聞いた。すると「う~ん、わかんない」とがっかりな答えがかえってきた(笑)そんなぁ~と思いつつも、「ウルトラマンの歌は全部歌えるなぁ~」と笑う母に胸がぎゅってなった。元々ヒーロー好きな私がルパパトの歌を歌えるのとは訳が違う。リカちゃん人形を買いたかった母が誰のためかとは私のためだし、娘をショーに連れていった話を聞きながら、「今はそんないろいろあっていいね~」という母が連れて行ってあげたかったのは、他ならない昔の私なのだ。

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