見出し画像

タイタニックから引き上げたあの頃の話


 「タイタニック」の映画の中で、宝探しをしていた人が、ローズの話を聞いて、自分が引き上げてしまったものの真実に打ちのめされるようなシーンがあるのだけど、若い自分が信じていた気持ちが、今思うとそうではなかったのかもしれないなと、心の底から引き上げた思い出に驚かされることがある。

 私が、高校2年生の頃に公開していた映画「タイタニック」。数人で活動する弱小合唱部で歌うことになった。私達は映画館のない田舎に住んでいたこともあり、お休みに電車に1時間以上揺られ映画館に観に行った。もう公開からかなり経っていたが、人は多く当時は入れ替え制ではなかったため、席は埋まっており、端の段差に腰掛けて、画面を見上げながら観た。素晴らしい映像と音楽に私はすぐに夢中になり、沈没するシーンでは、ジャックの掛け声に合わせて息を吸い込み、ラストは号泣した。私は、あの絶望の中で死なず、約束を守り、ちゃんと生きて幸せになるローズに、何より感動した。私は今でもタイタニックのここが大好きだ。

 さて、本題は、当時私の彼氏が私のタイタニック好きを快く思わなかったことだ。理由は、束縛激しい人だったので「どうせディカプリオがかっこよかたんだろ浮気だ」と「他の男と結婚する話がよいのか」という、ローズの美しい強さに感動した私からすれば、勘違い甚だしいものだった。第一、ディカプリオは確かに美しいが、私は好みではない。ディカプリオの顔もジャックの性格も、全く好みではない。私は、この他の男との詳細が「婚約者を捨ててジャックと」なのか「生還後の人生」のことなのかを当時は全く考えず、前者だと思っていたし、無駄な口論は避けたいし、彼の解釈は私の価値観を全くわかってないしで、説明しても無駄だなと、有耶無耶にした。私はローズの生き方に感動したのに、好みではない男を好きと勘違いされて怒られるなど、迷惑極まりない。

 タイタニックとは関係ないが、彼とは中学からのお付き合いで、同じように、私のこと本当にわかってないんだから!と憤慨することがあった。まあ、そういうことはいっぱいあったとは思うんだけれど、私という人間についての根本を否定されて嫌だったという出来事だ。私は小学生の頃は学級委員などをやっていたが、中学に上がってからは控えめに過ごしていた。

 そんな3年目、生徒会長から電話がかかってきた。私の中学は田舎で2クラスしかなく、生徒会長が各委員の長を指名して決めるという謎の風習があり、電話の内容は「新聞部の部長をやってくれないか?」というものだった。こういう役をやらなくなり久しい私にどうして?と思いつつ、新聞部は○○先生だよね?と言った途端、弱りきった声で「みんな…そう言うんだ…」と生徒会長は嘆いたのだ。なるほど、いろいろ断られて、困り果てて、物書きが好きで、○○先生を嫌に思わなそうな私に頼んできたのか…とピンときた。

 顧問の先生は年配で、ちょっとめんどくさいが、そんなとこが私の祖母に似ていて嫌いではなかったし、授業中に、ミニゲームの勝利に無邪気に喜ぶ私を見て、○○さんのそういうところ好きだわと、最前列に座る私にこぼした言葉は、今でも私の心に私の良いところとして輝きを失わない。何でもない一言だが、心を支える言葉とはそんなものだろう。

 という訳で、そういう役回りは控えていた私だが、困っているなら話は別だ。私は引き受けた。ここで本題に戻ってくる。この部長就任がまた一波乱で、「自由な時間が制約される役を引き受けるのは自分との時間がなくなっても良いのか」や、「生徒会長から言われたからだろ、あいつが好きなんだろ」等々、彼から非難された。まあ、「時間がなくなる」については、すまんなとしか言いようがないが、「生徒会長が好き」は意味がわからない。何を言っているのか。

 確かに文武両道、名のある大学を出て、今や聞けば誰もが「ほぅ…」と唸る職業に就いている生徒会長は、比べればちょっと凹むかも知れない。でも、私は、元来、困っていたら断れない質で、人の役に立つのが大好きだし、寧ろ人の役に立つことでしか、自分の価値を見いだせない厄介なところがある。相手が誰かではなく、困っていたし、自分の力が役に立つ、そう感じたから引き受けたのだ。それなのに、好きだからだなんて、私のことを全くわかってないのね!とそこに私は、とても腹がたった。

 おや、どこかで似たような?そう、タイタニックだ。この2つの出来事は、似ていて、私は、彼が私の本質をわかってくれず、浮ついた気持ちだと決めつけてきたと私が憤慨した出来事なのだ。最近、タイタニックをテレビ放送で見返して、彼は私の本心を本当はわかっていて嫌だったのかもしれないなと思った。タイタニックに私が感動した理由も、部長を引き受けた理由もわかっていて、尚かつそれこそ(ローズの強く自由な生き方や、部長という自分以外を優先させること=自由な生き方)が嫌だったが、上手く説明出来なかったか、説明したくなかったか、とりあえず、私のことを全然わかってないのではなく、漠然とわかってて幼さ故に怒ってたのかもしれないなと。そして、私も幼さ故にそのことがわからなかったのかもしれない。それがわかったところで、嫌なのは変わらないんだけど、ディカプリオ好きじゃないのにという私の怒りは見当違いだったのだ、たぶん。そりゃあ噛み合わないし、とばっちりなディカプリオにも申し訳ない。

 タイタニックを見ながら、「やっぱりいいわぁ〜」とため息つく私に、6歳の娘は「大人ってこういうの好きだよね」とつまんないアピールしてきたので、もう!と憤慨しつつ、当時、涙が止まらなかったのは、好きな人が死んじゃうなんて、なんて悲しいのかしら…と思った恋する16歳の乙女心こそ、彼には評価して欲しかったよなぁ。

 真実はわからないけど、あの時は信じて疑わなかったことが、長い年月経って引き上げてみたら、実は思っていたものとは違ってたということはあるもので、タイタニックから私が引き上げたのは、案外真実かもしれない。「trust」は信頼するという英単語だが、命かけて信じるレベルしか使わないと最近聞いて、あの沈没の瞬間にジャックは「Trust me」って言うもんなぁ。ローズは「I trust you」って返すの。trust使える関係に近づくよう、お互いの見えない部分を想像して人間関係築いていきたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?