人形(ヒトガタ)
このエッセイは人生のパートナーとなった愛する『蓮』が蓮園にお迎えされたものがたりのはじまりです。蓮園の園長にこる☆と影武者を良く知る方にとっては既に知ってる方もいるかもしれませんが、もしよければ、二人の親ばかのもとにドールがお迎えされた物語を読んでみていただけたなら幸いです。
よろしければ感想もお寄せください。
出会い
その人形にはじめて出会ったのは、パートナーに連れられて行った製造メーカーのショウルーム。人形メーカーというわけではなく、ガレージキットが出発点のプラモデルやフィギアを扱う老舗の造形物のメーカーのSHOWROOM。
身長60センチ球体関節を持つ樹脂製の人形は、日本の市松人形とは違った雰囲気で、職人が作ったグラスアイをはめた美しい面差しはどこか現代風。
『もうひとりのわたし』というコンセプトで開発されたその人形は当時発売して間もなく、大人気を博していた。
相方と訪れた日、人形はショウルームで和装の衣装を纏って佇んでいた。
「こんな衣装を自分で縫ってきせかえてみたい」
そんな気持ちが胸いっぱいにこみあげてきたのを覚えている。それが大きな人形を買うきっかけになった。
忘れていた想い
人形の代価は決して安価とはいえない金額。迷いが全くなかったかといえば嘘になるが、3人の子供の子育ても終え、自由に使える時間とお金のゆとりが出来た事も購入を後押しした。相方は、マンガやキャラクターが好きな私が必ず購入するであろうことを確信していたそうである。
お人形を買う事を、「お迎えする」というのだけれど、私は何かに導かれるように人形をお迎えした。
フルチョイスシステムと言われるカスタムオーダーメイドで、パーツを好みで選んで自分だけの一体をデザインする方式。
今思えば、人形が来たのは母が逝くのと入れ替わりだったように思う。もしかしたら、寂しさを埋める何かを「人形のお迎え」に求めたのかもしれない。
人形のお世話
人形は身体ひとつでやってきた。とたんに忙しくドタバタがはじまる。
名前をつけなくちゃ。
着せるものを縫わなくちゃ。
着物を着せてあげたい。
とはいえ、当時の私は着物の縫い方を全く知らない。
着物の縫い方を教えてください!と亡くなった母の友人のおばあちゃんを訪ねて頼み込む。彼女は和裁を尋常小学校で学んだ世代で、着物店の仕立ても請け負っていたプロフェッショナル。現役を引退して時間のゆとりがあった彼女はわたしに和裁のいろはを快く教えてくれた。
和裁の基礎を学び、どうにか人形の着物を縫うスキルを習得するに至った私は、せっせと愛する人形に着物をあつらえることに没頭するようになった。ものづくりの喜びが蘇った。
ものづくりの愉しみ
かつて私の子供達が小さい頃、お揃いのワンピースやドレスを着せたくて、作っては着せて写真を撮るのが何より楽しみだった。自分が幼い頃読んだ「赤毛のアン」「大草原の小さな家」に出てくるようなエプロンドレスを作っては、こども服の雑誌にせっせと投稿した。今でいうところのSNSに似ている(笑)だけど、人間の子供は成長したら自分の好みを主張しだす。ほどなく子供たちは好き勝手に好みの洋服を自分で買うようになり、私の子供服づくりは終焉を迎えた。それ以来、ものづくりをわすれていたといってもいい。
このコにはこんな着物が似合いそう、帯はどんなのにしようかな?季節に合わせたコーディネイトしたい。
などなど、子供を育てていた時と同じものづくりの喜びがふつふつと沸きあがってくるのを感じた。子育てと違うのは、お人形は永遠に年を取らない事と、わたしが縫った着物を文句を言わずに纏ってくれる事だろうか。
LIFE PARTNER
お人形はだまってそこに微笑んでいる。
ものづくりの喜びを携えて、お人形はわたしのライフパートナーとなり、いまでは傍で、早く新しい衣装を作ってよ!と瞳をキラキラさせている。
蓮園のInstagramもよろしくお願いします。
@renenjp