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コロナと僕ら
友達がTwitterでnoteを始めようか迷ってたので、横取りするかのように、初めてみることにしました。
でも実は、僕の尊敬する部活のコーチがnoteをやっていて、読ませてもらっていたんだけど、ついつい面白くて、何度も読み返してるうちに、自分もやってみたいと思っていたのが大きな要因の一つだ笑
自分も、あと3ヶ月で高校卒業。
青春ストーリーのクライマックスのこの時期に、
高校生活の結末を綴ろうと思い、
スマホを握りました。(現代風)
さて、今年は言うまでもなく、新型コロナウイルスによって世界中が大きな打撃を受けた一年でした。
今日はそのことについて書こうと思う。
前提として、このパンデミックが起きてしまったことは、もちろんいいことじゃない。しかし、こういう窮地に陥った時こそ、この経験を通して何を学べたか振り返ることによって、自分自身の成長に繋げるべきだと思い、この約1年間をポジティブに捉えることにした(割と時間はかかったが…笑)
政治的とか社会的に、コロナがどうだとかではなく、現役高校生の僕が感じた「コロナがくれたモノ」について書きたいと思う。
結論から述べると、「コロナがくれたモノ」
それは、当たり前を当たり前じゃなくしてくれた
ことだ。
高校生の僕らも例に倣って、自粛の日々を過ごしてきた。きっと、楽しかっただろう高2の最後の1ヶ月を奪われたかと思ったら、家の中に監禁され、そのまま夏が来るまで家での日々が、ただただ流れていたように感じた。
言うまでもなく、当たり前は消えていった。
自粛期間中の事はひとまず置いといて、
僕の心に1番響いてきて、変化が訪れたのは、
自粛が明けた瞬間だった。
久々に学校に行った時、
本当は涙が出そうだった。
というよりも、朝起きた時から感極まっていた。
制服のシャツに袖を通し、ズボンを履き、
家のドアを開け、「いってきます」と。
いつもの道で駅まで歩き、いつもの電車に揺られ…
学校について、友達に会った途端
「うわぁ、これやぁ。」
と思った。
僕たちが奪われたのは当たり前の日常、
ただ何気ない日々が奪われただけだった。
いくつか、イベントは奪われてしまったけれど、実際のところは、数えられる程度のもの。
奪われたのは、大切な行事やイベント事ではない。
ただの日々。何気ない毎日。
何気ない当たり前だった。
そこから、何を学んだのか。
「幸せなことに当たり前すぎて気づけてなかった」
ということ。
朝布団に起きて、服を着て、ご飯を食べて、
学校に行って、勉強をして、サッカーをして、
塾に行って、お風呂を浴びて、布団に入って、、、
正味、今まで口では「感謝してる」だとか「幸せだ」とかは言っていたけど、実際こんなにも幸せで、こんなにも、素敵な生活を送っている事を感じさせられた。
めちゃ、甘く見ていた。
当たり前を当たり前じゃなくしてくれた事によって、僕らは、当たり前の大切さに気づけたんだとおもう。何もないまま生きていたら、大人になっても気づけていなかったかもしれない。
これこそが、コロナがくれたモノだ。
僕らは、コロナに色んなものを奪われた。
しかし、僕は、
コロナが来る前よりもずっとずっと、
友達がの事が大好きなった。
俺の宝物は、友達だ。
当たり前を壊してくれたコロナが、僕らの友情を更に強くしてくれたのかもしれない。
宇宙一の皮肉を込めて、ありがとう😊
ライバル風に言えば、
「お前のおかげで強くなれた。」
といった、ところかな。
というわけで、noteはじめました。