高熱と悪夢
喉の痛みを感じ始めたのは金曜くらいからで、その日の夜は池袋に映画を見に行き、映画は数十人のスマホから一斉に鳴り響いた緊急地震速報のアラームの直後に5分ほど中断したもののちゃんと面白く、その後急ぎ足で向かった永福町の美味い店で飲み食いをして、終電をほとんど意図的に逃し、同席していた友人の家に向かい、3時に寝た。
土曜の朝、7時過ぎに起きる。友人から借りたTシャツを着て、そのまま前日と同じ職場に向かう。この時点で喉の痛みは少し増している程度。それよりも慣れないアルコールの過剰摂取と連日の睡眠不足による不調が全身に重くのしかかっていて、朝飯を食うために入ったドトールではアイスコーヒーではなく、ブレンドコーヒーを注文した。冷房で冷えすぎたドトールから徒歩2分もしない職場へ向かうために外へ出たときに、暑い、ではなく暖かい、と感じた時点で、己の身体に課された負荷は二日酔い程度のものではないと把握するべきだったのかもしれない。しかし、そもそも滅多に酒をしっかりと飲まないから、二日酔いがどんな感じなのかもよく分からないので、これが二日酔いというやつか、なかなか辛いな、と思いながら午前の仕事を乗り切った。
1時間の昼休憩を終えて、休憩中に少しばかり寝ることができたから、多少は体も軽くなっているかと思いきや、15時ごろにはいよいよ身体というよりも脳がうまく動かなくなり、パソコンの画面上でカーソルを右往左往させることくらいしかできなくなる。そのくらいまで来てようやく、これは二日酔いなどという自分には得体の知れない病ではなく、病院に行けば何かしらの名前を獲得することのできる状態に陥っているのだと悟る。早退を申し出て了承を得る。ドラッグストアへ向かう。最近のコロナは喉がヤバい、というのをなんとなく聞いていたから、もしかしたら、と思い抗原検査キットを買う。ドラッグストアの店員が異様なテンションで、とても楽しそうに使い方を説明してくれるので、思わずニヤニヤしながら聞く。そもそも、「使い方は分かりますか?」と聞かれた時に、まあそんなに難しいものでもないだろうし、どこかに書いてあるだろう説明を読めばいいと思い「まあ、なんとなくは」と適当に答えた俺に、すかさず「では説明しますね」と切り返してきたので、ただの薬剤師ではない。2000円弱する抗原検査キットを買い、地下鉄に乗る。
なかなか新宿に着かない、と思い車内の電光掲示板の表示を見て、逆方向に5駅ほど運ばれてきたことを知る。次の駅で降りて、ホームの反対側に来た電車に乗る。その電車も新宿の2駅手前で、閉まったと思ったドアが瞬時に開き、そのまましばらく停車して、理由を語る車掌のアナウンスはよく聞き取れなかったが、なぜかドアの開閉を2、3度繰り返し、8分くらいしてようやく出発した。新宿でJRに乗り換える。新宿始発の埼京線、座って約40分弱、最寄駅に着く。
抗原検査をする。ドラッグストアの店員の説明はその楽しそうな態度を除いて一切記憶になく、紙に書かれた説明書を慎重に読みながら、綿棒で口内をほじくり回したり、それをスポイトの中の液体と混ぜ合わせたりする。小学校の理科の実験を思い出す。にわかにあのドラッグストアの店員が理科の教師のように思えてくる。自分の記憶する限り、理科の教師にまともな人間はいなかった。そもそも、まともな教師、というのはほとんど記憶に残っていないのかもしれない。結果は陽性だった。
今回、抗原検査というものを初めてやったが、結果が出るまでのワクワク感が良い。病院の検査も同じ結果待ちの時間はあるが、あれはまず人の言葉で結果が伝えられるから、自分の目で見て分かる抗原検査のほうが実感が湧く。その日はもう病院も閉まっていたし、市販の風邪薬を飲むしかなく、それでもなんとなく食欲はあったので、飯を少し食い、すぐに寝た。
その日の夜、夢を見た。高熱と悪夢というのは自分にとって常にセットで、もはや高熱が出た時はそれを楽しみにして眠りにつくまである。ただ、内容を覚えている高熱悪夢はほとんどなく、寝汗を振り払うように目覚めた瞬間の、ヤバい夢を見た、という感覚だけを覚えている。今回もヤバい夢を見た。
不快感や恐怖を覚えるようなものではなかったから、悪夢というと少し違うかもしれない。真っ白なとても広い部屋にいた。そこに自分を含めた人間が数人いて、その人たちは何をするでもなく、いる。自分は誰かと会話をしているようだ。しかし、それが実体を伴う「誰か」という形で眼前に現れている訳ではなく、どこからか聞こえてくる「声」としてそれを認識している。その声が言うには、「これは全く新しい概念です」。まず、「これ」というのは今自分がいるこの真っ白な空間のことらしく、ここに放り込まれている時点で、今まで人間が認識したことのなかった完全に新しい「概念」なるものに触れている、ということらしい。そして、「声」はその「概念」について、こと細かに説明しようとしているのだが、一向に理解できる気配がない。悪夢たる要素があるとしたら、この圧倒的な理解不可能性だろう。そもそも、人類未踏の新概念なるものを、コロナウイルス由来の悪夢などに引っ張ってこられたら、先人たちは堪ったものではないだろう。
しかし、その説明は徐々に輪郭を帯びてくる。自分の周辺に漂っていた数人の人間たちはその説明に必要な人員だったようで、「声」はその人たちをうまく使いながら説明を進める。少しずつ、具体が迫ってくる。なるほど、それがこうなって、これがこうなることが、こういう結果をもたらし、それはこういう意味で、ああいうことが言えるのか。尻尾を掴めそうな感覚が少しずつ芽生えてきたあたりで、目が覚める。また高熱と悪夢だ。さっきまでいた真っ白な部屋を反芻する。しかし、これは珍しく「面白い悪夢」だった、と少しテンションが上がる。為された説明はすでに一言たりとも思い起こすことができなくなっていたし、そもそも言語で説明されていたかどうかもかなり怪しかった。それでも、まるでウイルスが体に入り込んで蝕んでいくように、無知というまっさらな状態を切り崩そうと少しずつ認識が侵食されていく感覚だけは体に残っていて、なんだか爽快な目覚めだった。
枕元の体温計を手に取り、脇に差す。1分後、タイマーが計測の終了を知らせる。39.1℃、喉が焼けるように痛かった。
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