000. はじめまして
ひと頃、仕事や学びの場における「生産性の向上・効率化」といった文句がまるでおまじないでも唱えるかのごとく声高に叫ばれていたことをふと思い出しました。その後ほどなくして「タイパ」が ― コストパフォーマンスならぬタイムパフォーマンスの略語 ― が若者世代を中心に合言葉のように流行しました。※1)
自称あまのじゃくの筆者は、このような世俗の流れに対して「へぇ」とか「ほぉ」といったハ行の反応をするのが関の山なのですが。でもだからこそ、どちらのムーブメントに対しても、あのすがすがしいほどの威勢がどこか遠くに行ってしまったように感じて、最近なんだかモヤモヤするのです。え?とっくにもう飽きたよって??
閑話休題
「効率化」を図ること、「生産性」を追求することは或いは現代社会にすっかり溶け込んでしまっているのかもしれません。ほら、なにげない日々のプライベートでさえも何かしらの成果や結果を残すことを求め、求められ、そうしてぼくたちは得られた達成感によって自分自身を納得させているじゃないですか。
幸か不幸か、自由意志をめぐる議論のスタートにすら立てていないことに気がついてしまった筆者は、とあるリカレントの機会にこのように考えました。ぼくたちが気づかずに失っているものがあるとすれば、それは「無駄」という二文字ではないかと。
人生100年時代といったって四十路も過ぎれば誰もが人生の折り返しです。いわゆる「不惑」とうらはらに、惑いまくっている二人が行き着いた先は、通称「モヤモヤ沼」でした。あえて「無駄」に思えることに向き合うこと ― 曖昧さや非生産的な事柄、正解のない問いなど ― そこから古くてあたらしい価値を掘り起こし、光を当てたいと考えています。
そのために、毎回さまざまな視点を持つゲストをお招きし、「モヤモヤ沼」に足を踏み入れ (もしかしたら我々はゲストに傍観されて終わるかも!?)、 それぞれのご経験やお考えを伺いながら、非生産的行動がもたらす創造性、ひいては真に意味のある「無駄」の価値や楽しみ方を見出せればと思っています。
もっとも、明確な答えがない曖昧な世界、解決策が見つからないものごとには不安感や不満感が渦巻くのが常です。けれどもこの「モヤモヤ沼」にこそ、僕たちをより望まれる状態へと導くクリエイティビティが潜んでいると信じています。そしてそれらが日常のあり方を見つめなおすきっかけとなれば幸いです。
さあ、皆さまもご一緒にこのモヤモヤ沼で「無駄」のひと時を浪費しながら、自由に渡り歩いてみようではありませんか。※2
1). 「タイパ」は三省堂『今年の新語 2022』の大賞を受賞
2). 「「浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない」
(哲学者・バートランド ラッセルの言葉)