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決別

投稿2つ目。前の文章を読んだ人からすれば、いきなり大仰なタイトルだなぁ、と思いますかね?今回は高校時代までの人生をダイジェスト。部活編。

生まれは長野県、幼少期は海外で過ごしました。インドネシアとイギリスに3年ずつくらい住んでましたが、現地での生活も言語もろくに覚えてはいません。

小学校2年時に日本に戻ってからはずっと地元でしたが、物心ついてからは初めての日本だったので、文化の違いにだいぶ苦しめられた気がします。運動も勉強もだいぶできたほうだったのでクラスにうちとけるのは早かったけど、学年が上がり、中学高校に進むにつれて空気を読まなければならない雰囲気にのまれ、アイデンティティであった奔放な言動は鳴りを潜めていきました。学年が上がるにつれて自分に自信を持てなくなっていったことも理由の一つですけど。

その小中高の生活はとにかく部活にうちこみました。野球部だったんですけど、田舎の野球部は正直な話、昭和のど根性精神が根付いてて、気が狂ったように練習した記憶があります。中学時は学校の部活にも関わらずオフなし、平日の夜練、土日1日練習と、県内トップの練習量を自負するくらいでした。まあそのおかげで県大会準優勝、北信越大会出場したんですけども。そんなチームの中心で活躍してたんで一番自分に自信があったのはこの時期ですね。その後は転落の一途をたどります。

高校は、地元ではまあまあ評判の進学校に進みました、いわゆる自称進学校です。野球部も強くて文武両道を謳っているので期待に胸を膨らませていたんですけど。中学以上の練習量で勉強する時間は体力的にも作れず、上下関係の厳しさで精神的にも追い込まれる場所でした。もちろん暴力はなかったけど、練習後、上級生に暗闇の体育館に呼ばれて、教育(罵倒)される「シメ」は恐怖でしかなかった。

中学までは自信あった野球も高校では全く伸びませんでした。2年の秋にレギュラーを取ったと思えば控えに戻り、準レギュラーの立ち位置に。最後は2年にスタメンを奪われ、夏もまさかの一回戦負け、完封5回コールド。今考えればもっと努力の余地はあったと思います。それでも結果を追い求めてきた自分にとってこの敗戦は過去最大のショックで、出た結論は「高校野球で得たものは何もなかった」ということ。

高校野球が無駄とは思っていません、今でも甲子園は欠かさず見るほど好きですし。それでも自分が触れた高校野球の世界では何も大切なものが得られませんでした。当時の仲間とももう連絡をとっていません。とある出来事から、彼らとの連絡手段の一切を断ちました。(気が向けばこのことも書こうかな。)こうして思い出も仲間も、人生を費やした野球とも別れを決意したのです。

編集後記

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。僕を知らない方にも理解していただけるよう書いたつもりですが、僕しかわからない表現が混じっていたら申し訳ないです。m(_ _)m 自分語りってそのへんの塩梅が難しいんですよね、日々精進していく所存です。

とりあえず浪人期の話や勉強法などを公開する予定で始めたのですが、まだプロローグです。赤の他人の薄い人生経験がもう少し続きますがおつきあいください。

今回はここまで。 That`s it. 


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