7.みどりのゆび
私は“ねこじゃらし”に恩がある。
いつも道端に揺れている、ねこじゃらし。
ねこじゃらしを見ると、いつも、いつも、心の中で“有難う”“有難う”と感謝を伝えている。
私の会社員としての給料<家族が経営する飲食店の毎月の赤字 それが3年間続いた。
どうやって生活していたのか分からない。
当時私には扶養家族が7人いた。さらに、飲食店には従業員もいて、従業員にもそれぞれ扶養家族が4人とか5人とかいて、、、飲食店の売上が上がらないのは、集客が出来ない経営責任は、従業員の非では無い。だから、彼らの給料は遅延なく支払った。
3年間、悔いはない。
3年の間、必死だった。底無し沼に落ち続けている感覚。子どもが欲しがるものを、何一つ買ってあげられないことが、一番心をしめつけた。
子どもだけは、助けたい。子どもには、この沼の存在を気付かせないでいたい。
『あれ、買ってー』には何一つ応じられなかった。だって財布にお金入ってないんだから。牛乳一本買えない日もあったなあ。
そんなある日、子どもが“ねこじゃらし”を指差し『あれ、取ってー』と。ねこじゃらしは、空き地に、たわわにたくさん生えていた。
とってあげたら、子どもは満面の笑みだ。それを見て私の気持ちこそが救われた。
私は、“ねこじゃらし”に心を救われたのだ。
だから、あのときの空き地は、もう道路に変わってしまったけど、、、
植物は仲間同士で繋がっている。
一本のねこじゃらしに、私はたすけられたから、ご縁を頂いたみたいだ。
下を向いて歩くような元気のない時、いつもねこじゃらしと目が合う。
ねこじゃらしは、色んな路地で、空き地で、ただひたすらに生きてあちこちに根をはり、ふさふさの顔をゆらしている。それを見ると、私はまた、あの時のように励まされる思いがする。
つい最近も、下を向いて歩いていた私に、ねこじゃらしは、梅雨の雨にうたれようと、夏日にさらされようと、ふさふさもふもふの顔を、重なりあわせ、生きている喜びを伝えようとしていた。
ねこじゃらしが元気だせよと言ってくれる、あたためてくれているような気がする。
もう、ねこじゃらしは、私にとってどこで出会っても、出会う度にあたたかいものや優しいものに繋がっている。
対人間と変わらず、対植物とも、ご縁って出来ていくんだな。
とはいえ、私には“みどりのゆび”は無くて、花束や鉢植えをもらっても、すぐ枯らしてしまうんだけどね。