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【Vol.54】量産型ザクの運命
日本の教育も少しずつは良くなっていると思いますが、まだまだ工場労働者の育成がベースとなっているのではないでしょうか。
大量の工場労働者が必要だった時代に設計された教育は、従順さ、正確さ、早さが重要視され(コンピューターやロボットが得意中の得意です)、個性の育成などは不要で相容れないものです。
今の時代の完成図は工場労働者ではなくてサラリーマンですが、基本設計図はあまり変わっていないように思います。
学校という工場のベルトコンベアに乗せられて、均質に規格化された子どもが量産型ザクのように大量生産されていき、高品質(高偏差値)の子どもと、低品質(低偏差値)の子どもにグロテスクに振り分けられます。
都会の多くの子どもたちは、まだ小さいうちから塾通いを強要され、品質(偏差値)競争の世界に放り込まれてしまいます。
人生の序盤から学歴競争が始まり、ゴールは有名大学です。
有名大学に入ったら、就職競争が始まり、ゴールは有名企業です。
有名企業に入ったら、出世競争が始まり、ゴールは社長や役員です。
出世競争がいちばん長くて熾烈で、人生の中盤から終盤までずっと続きます。
途中で結婚して子どもが産まれたら、子どもにも同じようなコースを歩むようにしつけます。量産型ザクは無限ループで自動再生産されるシステムになっています。
しかし、人生は長く、運命のいたずらや罠も多くあったりで、わからないものです。
有名企業に入れたものの、厳しい出世競争に敗れてリストラされたり、有名企業自体も落ち目になることもあります。
過酷なエリート競争が原因で病気になったり、若くして落命する人も多くいます。
一方で、低品質(低偏差値)だった子どもがブルーカラーの職業に就き、その世界で才能を開花し、起業して中小企業の社長になることもあります。
皮肉なことに、熾烈な出世競争で勝利したサラリーマン社長より、起業した中小企業の社長の方が豊かなことが多いです。
このような現実はずっとエリート競争を歩まされた人たちにとっては不都合なので、酸っぱい葡萄の話として封印するしかないでしょう。