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【Vol.21】脱サラは損切り

損切りは多くの人が苦手とします。

肉を切らせて骨を断つというのは、当たり前ですが、誰も進んで望むものではありません。

頭では理解していても、なかなか体が動いてくれないものです。

しかし、究極の選択を迫られた時には自ら決断して行動しなくてはなりません。


株取引の用語ですが、株価の上昇が見込めない株を保有し続けることを塩漬けと言います。

少し厳しい表現ですが、会社に依存するしかないサラリーマンは塩漬け状態です。


人間は長年、同じ環境にいると、その環境に適応する習性があります。

ホワイト企業は恵まれた環境で確かに良いかもしれませんが、その環境に適応すると、保守的になり、自分から動けなくなる茹でガエルになるリスクが高いです。

ホワイト企業と言っても永遠にその安定が保証されることはありません。

世界でも競争があり、業界でも競争があり、社内でも競争があるわけです。

いずれ厳しい時代が来た時、茹でガエルは危機を感じることができないし、危機を感じても自ら動けないので、一番危険な存在となります。


リンダ・グラットンのベストセラー著書「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」にも書かれていましたが、人生が長期化している現代人には「変化への対応力」が必要だと言われています。

政府がつくった教育・労働・老後という人生の3ステージモデルが崩壊しつつある今、今後は自分でマルチ・ステージモデルをつくっていかなければなりません。

変化に対応するにはどうしても損切りが必要となります。


損切りができないのは過去の投資量や成功体験が大きいことも原因だと思います。

脱サラしたくてもできないサラリーマンには、受験や就職の競争で勝利した人も多いでしょう。

厳しい競争に勝ち抜いた自尊心もあるでしょうし、周りからエリートとか勝者のように呼ばれていた人が脱サラして誰にも評価されない個人に堕ちるのが耐え難いことは理解できます。


しかし、いずれはどんなに長くても定年に達すると会社を解雇されて、全員が強制的に脱サラをさせられるわけです。

会社という組織は新陳代謝が必要ですから、有能な若者にはポジションを譲り、年をとって能力が落ちた者は身を引かなければならなくなります。

看板がなくなると、元〇〇のような過去の肩書きにしがみつく寂しい人も多くいます。

私も平均以上の学歴があり、多くの人が知る会社で働いていましたが、自戒のためにも、過去の経歴をあまり不特定多数の人に出したいとは思いません。

過去に満足すると、未来への成長がないと信じているからです。

変化に対応するため、脱サラした後も損切りはしていかなければなりません。