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KAZUKI|新たなスタート - はじめての結婚と仕事|RENATUS STORY
そして、香川へと帰って来ました。
その後、身内に歯科技工士の方がいて、小さな頃から気になっていたので、歯科技工士になろうと専門学校へ行く事になります。ただ、勉強が嫌いだったのと、2年間のブランクはさすがに大きく、入学試験はさっぱりでした。
もちろん、専門学校から伝えられたのは「不合格」という言葉でした。
でも、歯科技工士という道が、僕の魂の体験に必要だったのでしょう。数日後、ある歯科医院の院長が、「うちで面倒を見るから・・・」という事で、歯科技工士への道が大きく開かれることになりました。
一度閉ざされたように思えた道が一気に開かれたので、すごく嬉しかった事を覚えていますが、その頃から頭に白髪が混じり始めました。専門的な知識を覚える事と仕事への責任感、そして、あまりに緻密な作業だったので、僕の頭の中はパニック状態のような日々を送ったように覚えています。
専門学校を卒業した後、もともと職人気質のため、一人前の歯科技工士にななりたくて、神戸にある大手の歯科技工所へ勤めました。ところが、ちょうど2年経った時、阪神淡路大震災にあい、住んでいたアパートも全壊になり、再び香川へと帰って来ました。
その時、思いました。香川以外で暮らす事は出来ないと・・・。
香川に帰ってからは歯科医院や歯科技工所に勤めて、35歳の時、歯科技工所を開業し、独立しました。同じ頃、知り合いから誘われた、高知よさこい祭りの「さぬき踊らんな連」に参加した時、元嫁との出会いがありました。そして37歳の時に結婚をして、39歳の時に息子が生まれました。
それからというもの、仕事と家族への責任に押しつぶされそうになりながら、寝る間も惜しんで働き続けました。ヘトヘトにながらも職人気質だけは衰えず、約1年半をかけて、東京へと勉強に行きます。そこで素晴らしい先生方(桑田正博先生)との出会いがあり、歯科技工士として、医療を携わる一人として、成長できた時期だったように思います。おかげさまで、仕事は順調でしたが、家族を犠牲にしての仕事でしたので、元嫁には苦労をかけっ放しだったなぁと思います。
そんな生活が約8年続いたのですが、ある時、取引先の歯科医院から仕事を断られてしまい、金銭的に苦しくなり、地獄のような生活が始まりました。その頃から夫婦関係が悪くなり、話し合いの末に別居が始まり、一人、実家へと帰りました。それ以降、歯科技工への意識が下がり、なんとか目の前にある仕事をこなす日々が続くようになりました。
ここからスピリチュアルの扉が開き始め、神代文字と出会い、本来の自分へと向かうようになります。