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【2021京都養生記プロローグ】 銀閣に導かれて京都・生まれ変わりの旅?

この投稿は去年の春、私の別のアカウントで公開したものなのですが、この際、別アカウントをひとつのアカウントにまとめようと思い、一部イベント告知など現在は無効になっている部分をカット、多少加筆して、こちらに転載することにしました。

まずは、朝日新聞be「それぞれの最終楽章」の中でも書いている京都行きの話に関連した文章をアップします。そして、これらの過去の投稿は有料化させてください。ある程度の部分までは読めるようにしておきます。また、これらの投稿はテーマで括って、マガジンを作りますので、そちらご購入いただけるとありがたいです。
では、以下本編、長いです。

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2020年4月25日投稿

先日、facebook上で「あまり調子がよくないので・・」と言っていたのは、がんで衰弱して動けなかったとかそういうわけではないんです。実は、ここしばらく帯状疱疹に悩まされておるのです。帯状疱疹も免疫力が下がってるときに出るものなので、私の免疫細胞も癌細胞と戦うのに忙しくて、水疱瘡ウイルスの復活を見落としてしまっていたのか、がんとまったく関係ないというわけでもないのでしょう。

それにしても、帯状疱疹って痛いんですね。初めてなのでびっくりしました。そして、痛みって本当に気力を削ぐんですよね。何もできなくなる。一番痛い時は眠ることさえできなくて、ここ10年以上飲んでなかったロキソニンをとうとう飲んじゃいました。そして、その効き目にもびっくり。徐々に痛みが小さくなって、完全に痛みが消えるわけじゃないんですが、それまで顰めていた顔をしかめることがまったくなくなる。でも、ロキソニンは最後の手段。飲み続けるのは良くないので、漢方薬を処方してもらい、ロキソニンはどうしてもというときだけにしています。

しかし、不思議なことに、帯状疱疹が出始めてから、体力は少し戻ってきてる気がするんですよね。体重も少し増えています。ただ、痛みが強くて、それによるストレスと消耗がすごい。体の中で何が起こっているのか、ちょっと不思議な感じで、自分の身体を観察しています。

最初、がんの疼痛がひどくなったのかと思い、これはホスピスにいかねばならないやつなのだろうかなどと、不安のどん底に落ちかけておりましたが、帯状疱疹だとわかり、ちょっとホッとしました。・・って、のは嘘で、帯状疱疹って、上に書いたように、思ってたより辛かった・・。ほんとこいつやばいです。あと何日くらいご一緒せねばならないのかわかりませんが、養生してなるべく早く治したいと思います。痛みを伴う帯状疱疹さんに早く退場していただかないと、私の体の中の病気の大ボスである乳がんさんを治す体制になれないのであります。

というわけで、今年に入ってから、少し体力の衰えを感じつつ、とはいえ、人中にいると、まったく元気そうに見えるので、自分でも自らの状態について半信半疑。しかし、だるい日も増え、代謝が衰えている感じはしていました。
しかし、その一方で、2月の下旬くらいからでしょうか、それまでいろんな意味で自分の頭の中にもやもやとかかっていた霧が少しずつ晴れていくような感覚が生まれ始めていました。やっとやっとのことで、霧の向こうにぼんやりした小さな光を見つけたような感じです。

少し前、目黒の高福院という真言宗のお寺さんのオンラインイベントに誘われ、自らの病のことを語る機会を得て、そこで話を聞いていただけたことが、一人で抱えていた不安を払拭するきっかけになった気がしています。
そして、身体の体力は微妙だけど、頭の体力が少し回復し始めた。そんな感覚を感じる中で、先日告知したトークイベントをやることを決め(大阪大学医学部の吉森保先生に細胞とオートファジーについてお話を伺う配信イベントです)、春に向けての希望が生まれ始めました。
ただ、体力は微妙に落ちたまま。まだ頭と身体のバランスはちぐはぐなままで、頭の方もバランスを崩して、再び、ダークサイドに落ちることもありました。

そんな矢先です。
ダークサイドに落ちた瞬間の私のツイートを見た旧知の方から、ある連絡をいただきました。

「京都に行ってみませんか?」
気分転換に誘われてるのかなと思いましたが、話を聞けば、京都に気功をやってらっしゃる方がいて、早朝、近隣の方も参加して、樹を囲んで気功教室をやっているので、2ヶ月くらい京都に行って気功をやってみませんかというものでした。そこには余命宣告された方とか、ステージの進んだがんを治療されたばかりの方も来ているといいます。

京都・・。
2月半ばに能登から帰ってきて、今住んでいるアパートの取り壊し立ち退きの話を聞き、ぼちぼちと賃貸物件のサイトを覗きながら、引っ越す気もないのに、なぜか京都の物件も検索し、安いなあと思っていたことを思い出しました。そして、京都のGoogle マップを開いてふと思ったのです。

そういえば、7年前、この乳がんの再発が疑われていたとき、夜の銀閣寺で撮影の仕事中、2階から落ちて踝にヒビ入ったよなあ・・と。

この時のことは、誰でも体験できることではないので、ちょっと詳しく書いておきます。

2014年の中秋の名月の日。銀閣から月を愛でるをテーマにしたある番組の構成を担当していた私は、銀閣からの月を撮影するため、銀閣2階のテラスで月の出を待っていました。ちょうど、階下からの階段を昇ったあたり。照明はなく、月が昇るまでは真っ暗です。私はテラスから格子の窓の中にいるカメラや出演者の様子を伺いながら、時々、まだ暗い空を見上げていました。
そして次の瞬間。なぜか自分でも全く憶えていないのですが、私は建物の方に体を向けたまま、右側に一歩2歩踏み出したんです。

そしたらなんと、床がない!
ない!と思った時には時すでに遅し。私の身体は宙に浮いていました。足を踏み出した先は階段だったのです。
その瞬間、「死んだ」と思いました。でも、そこで私の本能は諦めず、空中で体を捻り、右手を上に伸ばしてテラスの床を掴もうとしました。指は一瞬、床の端に引っかかりましたが、すぐに滑り落ち、私の身体は落下を始めたのです。しかし、少しでも指が引っかかったことが落下速度を緩め、落ちても自分の体を守るような姿勢を無意識に取らせたのでしょう。私は階段に背中から落下し、尾骶骨は打ちましたが、頭を打つことはなく、途中からは階段を滑り落ちるような形で1階に落ちのでした。

ドンドンドンドン!大きな音に、2階から、なんだなんだという声が聞こえたため、咄嗟に「大丈夫ですー」と大きな声を出しました。
スタッフなどは私の怪我よりも、国宝を傷つけていないかということを一瞬心配したようですが、幸い国宝が傷つくことはなく、私が怪我しただけでした。

月の出待ちの撮影、ここで撮影を止めてはいけないと思い、再度「階段から落ちちゃったけど、大丈夫みたいです。」と大きな声で2階に伝えましたが、左足首を捻ったようで、普通には歩けず、尾てい骨や背中も打っていたので、私は床にペタンと座ったまま、階段から書院造りの「心空殿」の方ににじり寄り、その座敷から、まだ月のない暗い庭をぼーっと眺めていたのでした。

ある意味、なんと贅沢なんでしょう。
たった一人、夜の銀閣・心空殿で月の出を待っているなんて、まるで足利義政です。とはいえ、足はズキズキ、尾てい骨も痛い。これは病院に行かないわけにはいかないと、スマホで近くの救急対応病院を検索していると、程なくして、銀閣の撮影担当者が降りてきて、タクシーを呼んでくれ、病院に向かったのでした。

結果は左足くるぶしにヒビ。ほかは打撲ということで、私は京都から松葉杖で東京に帰ることになったのでした。

その後、その場にいたスタッフと、何か悪霊に背中押されたんじゃないの。。なんて冗談を言っていたのですが、検査により、がんの再発が確定したのはその2ヶ月後でした。

あれから7年。
この7年間は、本当に悪霊に取り憑かれたように、私の人生の中でも最もしんどいことが降りかかった時期でした。

再発したがんは養生の甲斐あって、再発後2年目くらいには小さくなっていましたし(代替治療だけです。すごいでしょ)、心から楽しいと思える日々もありましたが、途中、やっていた番組が終了したり、経済的にも厳しい状態が続き、実家の親が怪我をしたり、眼病の手術をしたり、重ねて人間関係のいざこざもあり、いつしかいったん縮小したがんも大きくなり始めていたのです・・。そんな怒涛の7年間。その入り口に「銀閣寺落下事件」があったのです。


そして、今、そんな怒涛の7年間迷いに迷った私の中の霧が少しずつ晴れようとしているところにやってきた「京都行きの話」。
これって、7年前に銀閣寺でもらってきた厄を落としにいけということではないのか・・・。私の直感はそう告げていました。

それで、なんとなく京都に行ってもいいかもしれないという気になった私は、すぐに京都のマンスリーアパートなどを検索したのですが、これまたなんと、たまたま引っかかったジモティのサイトに、家具付きワンルーム(ユニットバス付き)水道代込みの激安物件が見つかったのです。聞けば、NPOがやってるアパートで、1階は保証人のいない高齢者が住み、2階には若い人に住んでもらって、簡単な見守りをする代わりに安い家賃でいいとのことでした。病気治療のため、2ヶ月か3ヶ月くらいの短期ですが大丈夫かと聞くと、治療ならば配慮しますとのことで、保険と事務手数料のみ、敷金礼金はいらないとのことで、入居を歓迎してくれました。また、こうした高齢者への住宅支援の現場を体験できるのも、利点に思えました。

さらに住所を聞けば、朝の気功教室をやっている場所からは徒歩3分ほどのところ。こんな好条件の物件がちょっと検索しただけで見つかるのは、京都に呼ばれているとしか思えないじゃあないですか!
やはり、これは京都に行くしかない。
そして、東京でやれる仕事をある程度済ませ、4月の末から2ヶ月間、京都に行くことにしました。

3月末には、一回、京都に下見に行ったのですが、この日たまたま、7年前の銀閣寺に同行していたディレクターの女性も別件の仕事で京都に来ていて夕飯合流しました。なんという偶然。これも銀閣寺厄払い説を補強する材料になってますw)

去年の5月、担当医に言われたのは、今の標準治療だとやれることは抗がん剤かホルモン剤で、私の場合、その治療をやっても2、3年くらいじゃないかということ(2020年時点だとあと1、2年ってことです)。もちろん、治療の奏功は人によって違うので、あくまでもその医師の見立てでしかありませんが、乳がん専門医として評判も良く、また人柄もとても良いその先生がわざと人を脅すようなことを言うとも思えず、老親しか身寄りのない私の今後を考えて、冷静な言葉をかけてくださったのだと思います。

しかし、そうだとしても、それを信じて、自分の意識まで命のカウントダウンには入りたくないと思い、私は一般的には奇跡と言われる生き方の方を選ぶことにしました。病は心と体で作るものということから逆算して、心も体も健やかになれる方法を模索する生き方です。能登に行ったのもその一環でしたが、まだ能登に行っていた頃には私の中で迷いがありました。ずっと、私は生きられるのだろうかというモヤモヤと闘っていました。

しかし、その闘いの中でも、少しずつではあるけれど、何かの変化は起きていたんだと思います。だからこそ、2月の半ばに能登から帰ってきて、今度は京都へ行くという事態を引き寄せたのではないか・・。なんか、スピっぽい言い回しになってしまいましたが、去年の夏にフルタイムの仕事を辞めて、ずっとモヤモヤしながらも模索していたことが、ここにきてやっと少しずつ動き始めたのだと思います。

ただ、そういう変化の前にはやはり別の困難もつきもので、それが今回の帯状疱疹だったりするわけですが、まあ、一度は近いうちに死ぬかもなあって思った私。もう、運を天に任せ、そこの気功教室に来てる人でまだ一人も亡くなったがん患者さんはいないよという言葉に勇気をもらいつつ、まったく環境の違うところで、私の身体の中身も入れ替えてこようと思います。予定の京都滞在が終わるのはちょうど次の私の誕生日の少し前。本気で生まれ変わりに行くつもりです。

というわけで、来週の半ばくらいからしばらく京都で暮らします。
東京より空の広い京都で、新緑のいい季節に、樹木の下で早朝に気功しながら、昼間には散歩しながらお気に入りのカフェや本屋に寄って、楽しくやれればと思います。モヤモヤ続きでしばらく手につかなかったギターも持っていこうと思います。

リモートでの発信はどこからでもできるので、京都からのサバイバル日記も発信したいと思っています。経済的には全く余裕がないので、サバイバル日記はnoteで始めて、お布施を募ろうかと思っています。また、今やってる5分枠の番組も京都のネタで取材できるものがないかとか画策中です。
何か体にあまり負担のないもので、京都でもできるお仕事あったら教えてください。

というわけで、みなさま、今後とも私のこと見守っててくださいませ!!よろしくお願いいたします。

上記しましたように、あまりキツイ仕事もできず、独り者ですので、現在、経済的にも余裕なし子です。もし、この記事を読まれて面白いと思っていただけましたら、サポート機能でお布施いただけるとありがたいです。

何卒よろしくお願いいたします。

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2021年5月〜7月の3カ月間、がんの養生のため京都に滞在した時の話です。なぜ京都に行こうと思ったのかのプロローグから書いてます。

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