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銀河鉄道999の原風景③ 過疎こそ財産な理由

前回「銀河鉄道999の原風景②」からの続きです。
海と空が繋がり、一面、ピンク色に輝く夕空を飛ぶようにゆく予讃線の鈍行列車。まるで999に乗って、飛び立つような錯覚に陥った。この列車から、こんな奇跡のような風景が見られるなんて、、、。予想をはるかに超える車窓の日没風景の美しさに息を呑んだのだったが、、、。

【1990年代以降の予讃線海岸まわり】

やがて、列車は海に流れ出す肱川の河口に沿って、海岸線から内陸に方向を変えた。
一つにつながっていた海と空はまた二つに分かれ、急速に日は暮れて、車窓の景色は元の世界へと戻っていった。

その後、現在まで30年あまり。再びその奇跡の風景に出会ったことはない。

車窓からキラキラ輝く日没を眺めたことはある。それもとても美しい風景だったが、空と海がつながり、ピンク色に染まった空間を列車が昇っていくような体験はもう2度とできないだろう。

ピンク色の夕焼けというのは、上空に一定の水蒸気が存在した時に光が錯乱して高い位置の青い光と低い位置の赤い光が混ざってピンク色になるとも言われている。しかし、それはいわゆるマジックアワーと言われるような黄昏たピンク色の空で、私が見たキラキラ輝くピンク色の空とは違う。まして、空と海がつながって見えたのだ。そんな状態になるには、一体、どんな気象条件が揃えばよいのか。水平線に太陽が沈む時刻だって日々刻々と変わり、列車の通過時刻ともずれていく。そんな条件が全て揃って初めて見られる奇跡を、私は目の当たりにしたのだ。

水平線に落ちる夕陽が見える路線は全国にいくつもある。ホームから美しい夕陽を眺められる駅もある。しかし、夕暮れ時、ピンクの宙(そら)に向かって出発する銀河鉄道に乗ったような「体験」ができる路線が他にあるだろうか?
そして、この過疎の町を走るディーゼルのワンマン列車でそんな素晴らしい瞬間に遭遇できることを、鉄道会社や近隣住民は知っていただろうか、、、。

崖の上を走る線路の真下。断崖に張り付くように海沿いを走る国道378号線は、当時、道幅がとても細く、列車の窓から見下ろしても、見えるのは海だけだった。列車の車窓から海まで視界を遮るものはなく、だからこそ、ピンクに染まる海と空がつながって目の前はそれ一色になったのだ。しかし、国道378号線は1990年代に伊予灘を埋め立てる形で拡張され、列車の車窓から海の手前に、整備された広い国道と鉄道を抜き去ってゆく車が姿を現した。また、この拡幅工事のせいで、下灘駅も日本一海に近いホームではなくなっている。

私が見た奇跡の風景は、その国道が拡幅される数年前、予讃線が見せてくれた最後の奇跡だったのかもしれない。鉄道という人間が作った文明の利器が大自然の生み出した奇跡のような美しい風景に溶け込み、夢を見させてくれた瞬間だった。

とはいえ、下灘駅から見える水平線への日没はそれなりに美しく、国道が整備されたおかげで、日没を見るために下灘駅を訪れる人は格段に増えた。「夕やけこやけライン」も観光目的の人が増えたに違いない。インスタ映えなんて言葉ができた今は、駅の近くに絵になるコラボドリンクも販売されているらしい。

しかし、こうして映えを求めて夕暮れの予讃線を訪れる人たちは、もう私が見た奇跡のような光景を見ることはできない。かつて、列車の車窓から奇跡のような風景に遭遇できたことを知る人もほとんどいないのではないだろうか。私の見た光景は、人間の作り出した文明が自然をそれほど壊すことなく、まだ調和を保っていたからこそ見られた奇跡の風景ではないかと思う。

いつまでも変わらない自然に対し、その後も人間の文明と開発はどんどん進み、自然の美しさを侵食していった。それが、日本にとっての高度成長期以降であり、少し開発が遅れた田舎にとってのバブル以降である。一旦、自然と文明の適度なバランスが崩れてしまえば、自然はもう私たちに奇跡のような美しい姿を見せることはない。


【開発と共に消えたもの】

かつて、江戸からでも富士山が望める坂道は富士見坂と名づけられ、人々は富士に向かって祈ったものだった。しかし、現代になって、高層ビルやマンションがニョキニョキ立ち並んだことで、富士見坂は次々と富士の見えない名前だけの坂になってしまった。

都会で暮らしながらも、朝夕にふと、富士の如き圧倒的な自然の姿を拝むことで、ほっとすることができる。自然と文明がバランスを保って存在するとはそういうことだ。
なのに我々の文明は、富士山のような大きくて雄大な、人知の及ばぬ自然さえ目隠しし、山を拝むことさえ難しくした。各地の富士見坂で富士を遮るビルが建つたびに、反対運動が行われたが、反対運動が勝つことはなかった。

例えば、予讃線の海側を走る国道378号線の拡幅工事にしても、列車の車窓の風景を守るために反対したところで、賛同するのは車の免許など持たない鉄道マニアくらいのものだっただろう(当時の私はテレビ番組の制作会社に入社し、ADとして忙殺されており、378号線が拡幅されるとか、故郷の情報には全く疎かった)。実際のところ、国道378号線は道幅も狭く悪路だったため、酷道(こくどう)と呼ばれており、ドライバーからも拡幅が求められていた。ルートは伊予市から私の地元八幡浜市を経由して宇和島市に至るが、伊予市から伊予長浜までの伊予灘沿いを走る区間は、拡幅以降「夕やけこやけライン」という名称がつけられ、最も夕陽の美しい海に最も近いドライブルートとして観光の目玉とされた。車社会の到来で、最も海に近い交通機関の座を鉄道から車が奪ったのである。

「それもいいではないか。道がきれいになって、車も走りやすくなったし。車に乗れば最も海に近い場所から夕陽を眺められるのだから。」
そう言う人もいるかもしれない。

けれど、まるで999に乗って空を飛ぶかのような体験と、車の車窓から夕陽を眺める体験は私にとっては大きく異なる。かつて国道が拡幅されるまでは、今日こそはまた、ピンク色に染まる空を飛んでくれるだろうか、そんな期待を胸に秘め、ドキドキしながら日没時刻を待っていたのだから。1980年代までの伊予灘を望む予讃線はそんな夢のある路線だったのである。

車社会が訪れて、地方の鉄道はさびれた。
しかし、それまでの列車での旅の方が、旅情というものを感じることは多かったと思う。スピードが遅いことで、地方のそう長くない距離の移動でも、駅弁を楽しむことができた。駅弁専用の緑茶の入った小さなポリ容器や、愛媛なら冷凍みかんも懐かしい。もちろん、車窓の風景もゆっくり眺められた。時には隣席の見知らぬ人と会話を交わし、地元の人しか知らない貴重な情報を知ることもあった。それが、道路を切り開くことによって、旅は車というプライベートな空間に閉じ込められ、旅の移動中の意外な発見は減った。特に、高速道路は壁に囲まれ、美しい風景を楽しむこともほとんどできない。道中も含めて旅だという感覚は薄れ、どんな宿に泊まるとか、どこでどんなものを食べるとか、目的地で楽しむことだけが旅のようになっている。

【新たなる開発は必要か】

地球温暖化の問題にしろ、自然の景観の問題にしろ、人との触れ合いの減少にしろ、車社会以前、鉄道が長距離移動のメインだった昭和40年頃の文明の在り方が、自然と人間のバランスを保つにはちょうどよかったのではなかろうか。

私は車の免許を取ったものの、すぐに失効してしまい、以来車を運転していないからそう思えるのかもしれない。親も車を運転しなかったし、暮らしの中に車が登場することが少なかった。また、私の実家は新たな家電の導入が遅く、洋式トイレ、ビデオデッキ、エアコンなど、私が実家にいた高校生までには導入されず、暖房器具にずっと火鉢が鎮座していたような家だった。昭和40年代の生活レベルをずっと続けているような感じだったが、それでもそれほど不自由はしなかった。もちろん、その後の便利な時代を経験している人にとって、全てを昭和40年代に戻すのはしんどいかもしれないので、完全に戻す必要はないけれど、これ以上の開発は必要ないと思う。

日本初の原発に火が灯ったのが1970年昭和45年。この開発がなければ、原発事故も起こることはなかったのだ。最先端と言われるものにはリスクがともなうことを肝に銘じなければいけない。

もちろん、昭和の技術だと、公害につながったり、温暖化につながったりするものもあるから、その部分を新たな技術力によって解消することは必要だと思う。けれど、ある技術の不備を解消するために、また自然の資源を投入して別の技術を開発するくらいなら、大元の問題ある技術ごと止めることも考えるべきである。

ただ、もはやコンピュータをなくせと言っても無理だろう。しかし、それは最低限暮らしに必要なシステム維持のためのものであるべきで、さらなる便利、更なるスピードアップを求めて開発を行うことは、単に地球の破壊につながるだけだろう。医療分野の開発なども単純にやめろといえないものもあるが、医療分野だとて、研究の方向性については今一度立ち止まって見直すことも必要だと思うし、少なくとも、軍事関連の開発は打ち止めにすべきだし、明らかに自然を破壊しながら進める土木分野の開発にも慎重になるべきである。


鉄道開発では現在、リニア新幹線の建設が進む。トンネルを掘りまくり、地盤を緩め、自然の景観を壊しまくってどんどん伸びていくリニアの線路。現在、138分かかっている東京大阪間の移動時間が67分になるというが、1時間やそこら移動時間が短くなるくらいでどんな利があるというのだろう。失われる自然の景観、山が切り崩されることで懸念される自然災害。どう考えても損失の方が大きく、これが人間を幸せにする開発とは思えない。まして、トンネルの中ばかりを走るリニアには鉄道ならではの楽しみである車窓の風景というものがない。窓の外に流れ行く風景から、日本各地の風土を知り、その豊かさに安堵する。それこそが旅の醍醐味であり、車窓という風景に開かれた窓こそが、鉄道という文明が自然とのバランスをとる窓口なのである。そもそも車窓の風景のないリニアは完全に自然と文明のバランスを欠いている。


【過疎こそ財産となる時代】

ところで、私の地元の八幡浜市には高速道路が通っていない。地元住民はそのことをもって、地元経済の疲弊の原因だと語りたがるが、私はそれだけが原因ではないと思う。文明から取り残されたくなくて、他の一歩先ゆく市町村の真似をしたがる。道路さえつくれば、景気が良くなるようなことを言う。しかし、そうだろうか。

地球温暖化の危機が叫ばれ、世界の食糧不足が懸念される今、最も力を持つのは自然豊かな自給自足できる田舎である。また、インスタ映えだなんだと言って、人々は自然の息を呑むような絶景を求めている。東京にはないものだ。なのに、せっかく海があり山がある田舎が、今こそ求められているものを捨てて、東京の後追いをするのだろう。

今や過疎こそ財産。人がいないことを逆手にとってやれることがあるはずだ。
私が30年以上まえ、予讃線の鈍行列車の中から見た奇跡のような美しい光景は、誰からも顧みられない、悪条件の多い過疎地だったからこそ、生き残っていた風景だったと思っている。人の手が入らないところにこそ残っていた美しさである。

現に、先を行くビジネスマンは、あえてこれまで人が寄り付かなかった場所を選んで、商業施設を作り、人を呼び込んでいる。その時に重要なのは、自然の景観は壊さないこと。人に感動を与える風景を、施設の売りにすること。そういう方針で成功している1人、バルニバービの佐藤会長が、人の寄り付かないバッドプレイスをグッドプレイスに変えられる条件は、地元食材が豊富であること、近くに水辺があり、夕日が眺められることを挙げている。

私の地元にも夕陽の美しい場所はいくつもある。海も食材もある。
実は私自身、以前からここぞ!と思っている場所がある。
せっかく海に夕陽が沈み、フェリーがシルエットになって遠ざかっていく様子が眺められる場所なのに、誰もその風景を利用しようとしないのだ。
その近くに道の駅の喫茶店があるのだが、その喫茶店など国道沿いにあって、中から見えるのは駐車場ばかり。勿体無くてしょうがない。
夕陽の見えるところにあるかつてのフェリー乗り場だったビルは老朽化して、別場所に新たなフェリー乗り場ができたが、その老朽化したビルこそ夕陽の風景の美しい絶妙な場所にあり、耐震工事とリフォームをすれば、夕陽を眺めるベランダにテラスカフェ、中には食堂もあるので、飲食店だって営業できる。全面リフォームせずとも、昭和レトロな感じは今こそ話題になると思う。なのに、地元ではそういう発想の開発が行われることなく、新しいだけで、特に特徴のない建物が建てられるのだ。

旧フェリー乗り場のビルにあるレトロ食堂
旧フェリー乗り場のビルにある食堂のテラス。夕陽が見える。
1階のフェリー待合室。窓外に見えるのは造船所。これもフォトジェニック
4階にはかつて海の見えるとんかつ屋があった。ここは夕陽の見えるカフェにしたい
旧フェリー乗り場ビルの外観。古いが、耐震工事とリフォームで再生できないものか

今の時代の開発のキーワードはある程度の不便を残すことだと思う。それが、自然の美しさを守る鍵であり、不便だからこそ、思い出に残る場所になる。

今、開発が遅れ、時代に取り残されたが故に経済も疲弊していると思っている地方の人は考え直した方がいいと思う。その時代に取り残されたことこそがこれからは財産になる。そこにはまだ、残された自然が奇跡の風景を見せてくれる可能性も残っているのだ。


「銀河鉄道999」で、機械の体をもらいに行ったはずの哲郎は、それが幸せではないことを知る。文明は必ずしも人を幸せにするわけではない。自然とのバランスを取った開発が行われた場合に、時に利を与えてくれるというだけだ。自然が開発によって壊されてしまう前に、いまだ、涙の溢れるような圧倒的な風景を保ってくれているうちに、私たちは考え直した方がいい。

私は早く体を治して、自分の地元の奇跡の風景を掘り起こしに行きたいと思う。
あのピンクの宙を飛んだ予讃線999号のような感動をもたらす風景が、まだ他にもあるはずだ。

これ読んだみなさま、ピンクの宙飛ぶ999号までは体験できずとも、今も、海周りの予讃線から眺める伊予灘をの風景は絶景です。一度、日没に合わせて訪れてみてください。

これをきっかけに、また時々、地元の町おこし的な文章を書いていきます。町おこしを仕事にするべく、アイディアをまとめ、企画書として提示できればと思います。
他にも夕陽が見えて、すでに建築物のある場所の心当たりもあり。
どなたか、一緒に町おこししませんか?

また、予讃線沿線で見られるもう一つの絶景、肱川下ろしのことも近々書きたいともいますので、お楽しみに! 

※サポートよろしくお願いします。

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