『照星(しょうせい)』 11 終

剛、カッフ、そしてルインがその場所を離れると後方に残っていた第三小隊も合流して来て農地を囲む密林の端に沿って散開した。

第三小隊は家屋に向かい畑を挟んで横一列に、各人が五メートルほどの幅を取りながら並んだ。

膝を突いて突撃銃を構え、全員が弾倉を装填した。

丁度第二小隊がその西側で同じ展開をしていた。
L字型に第三と第二の小隊が農場を囲んでいた。基本的なトーチカ戦の陣形である。

「第一分隊、家屋に向かって、横一列、幅五メートル、進め!」

ルイン伍長が声を張り上げると、分隊は中腰の姿勢で走り出して、十メートルほど進んでは、畑の畝の中や木の陰、藪の陰に身を隠した。

「止まれ。伏せろ」

少しずつ、ゲリラの立てこもる家屋との距離を詰めて行く。
憲兵隊が再び拡声器で呼びかけ始めた。

そうして百メートル手前まで詰めたとき、家屋の扉から一人の小太りの男が、散弾銃の銃身を持って銃床を上に挙げながら出てきて大尉と憲兵隊のいる方へゆっくりと歩き出したのだ。

剛の横のルインの無線が勝手に何かを伝えていた。

「ヤジマ、あの男に狙いをつけておけ」

ルインの指示で、剛は片膝を着いて構え直した。

小屋の中から微かに怒鳴り声が聞こえてきた。
円の中で男が数メートルの間隔を置いて憲兵隊と何かを話している。

そして暫くすると、男は銃を足元に投げ出して家屋の方へ戻って行き、再び扉が開くと中から人が出てきたのだった。

一人、二人、三人、と外に出る度に揃って武器を放り投げた。

ほとんどの男たちは散弾銃か古そうなカラシニコフ銃または拳銃を持っていた。

ボウガンを投げる者もいた。
扉の前の畑の端に武器が積みあがっていく。
女と子供は手を繋いで出てくるが、乳飲み子を抱いた女もいた。
そんなゲリラたちは皆日に焼けた東洋系の顔立ちをしていた。

その中で一人の男が両脇を二人の男に取り押さえられながら、しきりに大声で何かを叫びながら出てきた。
強い意志と決意で何か漠然とした標的に向かって牙を向ける男の目は空回りし、取り囲む兵隊たちに向かって罵声を浴びせながら拳を握り、何かを叫んでいるのだ。そしてゲリラたちは憲兵隊と第一小隊の指示に従って農場の隅に連行されて行った。

ただ剛は一層警戒を強めた。
そして家屋に向かって構え直すと、傍のルインを手招きで呼んだのである。

「伍長、ライフルを持った奴が、まだ出てきていません」

ルインは無線で話した後、トング上等兵とマトリッシュ上等兵に合図を出した。

「やれ!」

トング、デュマー、カッフの三人と、マトリッシュ、ベルー、マンクジの三人の二班に分かれた。

剛は銃からスコープを外し、裸眼で構え直そうとした。
距離は百メートルを切っているので、肉眼の方が狙いやすい。

背嚢を下ろしてそのポケットにスコープをしまうと、一昨日ベルーから渡された手榴弾を取り出した。

「カッフ! これを持っていけよ」

剛は軽く手榴弾を投げると、

「ハハハ…」

と、カッフは情けなさそうに笑いながらも、確りと手榴弾を受け取った。

そして剛は、今度はスコープのない銃に、畳んであった覗き孔を起こして構えると、その先の銃身の上にある照星を使って目標を探し始めた。

少し前からあの狙撃手の姿が見えなかった。

――かならずこっちを伺っている。

剛を隠す大麻草の茂みは、そこを狙えば弾丸は通り越して剛に中るだろう。

剛は照星を扉の少し右側の、薄い板でできた壁に止めた。

その向こう側に隠れているように思えたからだった。

――弾丸が貫通するほどの厚さなら、もしそうなら、そこを狙っていよう。

始めにベルーが中腰のまま全力で走り出して家屋の北側の軒下に取り付くと、振り向いてVサインを送った。
すぐにマンクジが走り出しベルーの横にたどり着くと片膝を付いたまま背中を向け合って突撃銃の銃口を上に向けた。
マトリッシュが続く。

トングの班もマトリッシュの班とほぼ同時に順に走り出して、家屋の軒下に取り付いた。
第二分隊は家屋の南側に同じように取り付いていく。
ベルーとマンクジが扉に近づいて、戸口を挟んで両脇に腰を落とした。
マトリッシュがベルーの横に駆け寄ったとき、突然扉が内側から開けられた。

咄嗟に三人は腰を沈ませ銃口を向けた。

それを見守る剛は扉の奥の闇の中に照星を合わせ、安全装置に指を掛けた。

すると戸口の奥の闇の中から一丁の銃が放り出された。

スコープの取り付けられた古そうに見えるが明らかに銃身の長い軍用の狙撃銃であった。それに続いて、中から一人の男が両手を挙げて、外を伺うように出てきたのだ。マトリッシュ班は数歩下がって中腰で銃を構え直した。

男は戸口から数歩前に進み出ると、手を挙げたまま、日焼けした浅黒い顔の中の鋭い目つきで散らばった第三小隊をゆっくりと見回すのだった。
精悍な身体つきの東洋系の顔立ちをしたその男はジーンズに柄の入ったTシャツ姿をしていた。
執念深そうな鋭い目つきは大きなインパクトをもってじっとゆっくりと見回し、何かを探そうとしているようだった。

それは狙撃手の目だった。

そしてその目が狙撃銃を構える剛を捕らえると、そこに釘付けにした。今度は肉眼で二人の視線が一直線に重なった。

すると男は頭の後ろから右手を前に出して軽く振りながら、途端に顔の表情を崩して声をかけた。

「グラッシャス!」

彼は剛に向かって、焼けた肌に目立つ白い歯を見せて笑いかけたのだ。

「メ…メルシ!」

剛も突然の笑顔に驚いて同じように笑って返してしまった。ただその感謝の意味が解かった。

それは互いに見詰め合ったときの恐怖感との戦いであった。

苦痛を忍んで恐怖に耐え戦い続けた、互いの自信と誇りへの感謝だ。互いの理解と安堵から湧き出す感謝の気持ちなのだ。

横でルインがそっと声をかけた。

「ふぅん、君の戦友だね」

膝で構えながら銃を腰に下ろしていた剛は、実はその時膝が立たなくなっていて、そして震える腹筋から忘れていった嗚咽が止め処なく沸き起こってきたのだった。

     ******

第三小隊が家屋の中を調べ始めた。安全が確認できると、中隊長、准尉、そして憲兵隊の人たちも入って行った。
家屋の裏に倉庫みたいな部屋を見つけると、その中の物を運び出した。

最終的に押収したのは、武器の他、コカイン二百八十キログラム、大麻樹脂五十キログラム、乾燥大麻八十キログラムであった。

被拘束者は隣国の反政府系独立派ゲリラで、人数は男二十一人、女十人、幼児を含む子供八人。
隣国で迫害され続けてきた彼らはそれらをフランス領内で売り、独立運動の資金というよりもよりもむしろ生活のために稼いでいたようであった。

コカおよび大麻草を栽培していた五ヘクタールの農地は検証の後全て焼き払われることになった。

インディオたちは武装解除が済むと家屋へ戻され、第一小隊の監視の下で憲兵隊の簡単な聴取を受けた。

また兵隊たちの持っていた携帯食料からアメやキャラメル、粉末ミルクなどが集められ、子供たちや乳飲み子を抱える女たちに配られた。

第二第三小隊は刀で畑の大麻やコカの木を刈り取り、それを一箇所に集められると焼き払われた。
そして夕方までにはヘリコプターがそこに着陸できるように畑の地均しも行われた。

地均しが終わってしばらくすると、南東の方角の空からバタバタというヘリコプターのプロペラの音が聞こえてきた。

中隊は発炎筒を点火し位置と風向きを知らせる。密林の幹の向こう側から、突然浮き出てくるように大きな輸送ヘリコプターが現れた。
それは農場の上まで来るとホバリングをしながら発炎筒に向かって方向を定めると、その大きなプロペラの風で畑に残った枯れ草を吹き上げながらゆっくりと着陸した。
甲高いタービンの音を弱めプロペラの回転を弱めると扉が開けられた。

ヘリコプターから第二中隊が降りて来た。

その降機が済むと、すぐにインディオたちが、監視する第一小隊と共に乗り込んだ。

ヘリコプターは再びプロペラとタービンの回転を上げて、ゆっくりと浮かび上がると、南東の方角の密林の向こう側へ消えていった。

そうしてその日の午後はヘリコプターが何度も往復して、残務処理をする第二中隊を降ろしては、インディオたちと第三中隊を運んで行った。

第三小隊は、最初の第二中隊の一陣が差し入れで持ってきたビールを飲みながら順番が来るのを待っていたが、待ちくたびれて、地面に寝転んだりしだしていた。

マトリッシュが飛び去るヘリコプターを見送りながら、近くにいたマジュビ准尉に聞いてみた。

「あのインディオたち、どうなるンですかね」

小隊の注目が集まった。

「ああ、彼らは亡命を求めて投降してきたンだ。多分、本国に返されても、命はないだろうしな。まぁ、人道的判断をするなら、それは政府がするさ」

「出発まで、まだ大分時間が掛かるな」

とルイン伍長がため息混じりに言った。全員が疲労を感じて口数が少なくなっていた。

そこへ今度はマンクジがルインに聞いた。

「あの時、銃声が一発しましたね。誰か撃たれたンですか」

今度は小隊の注目がマンクジに集まった。

「いや、誰も。暴発か威嚇射撃だったンだろうね」

伍長は足元の枯れ草を踏みつけながら呟いた。

「あぁ、多分…出てくる時、狂ったように興奮して何か喚いている奴がいたな。あいつだろう」 

デュマーの言葉で小隊に笑いが広がった。准尉はそんな小隊を眺め回しながら、

「今回は、どうだったかね」

と聞いた。

「突入前に笑っている奴がいたな」

と今度はトングがカッフを見て皮肉るように言った。
小隊の笑いがあふれ出すとカッフはポケットから手榴弾を取り出してそれを掲げた。

「こいつだぜ!」

と自慢げに使わなかった訓練用の手榴弾を見せ剛に放り投げた。

疲れた体で出発を待つ中隊の中で、第三中隊だけが笑っているのだった。
准尉の傍にいた剛も笑いながら言った。

「いやぁ、実を言うと、僕は怖かったンです」

剛が受け取った手りゅう弾を見ながらそう白状しても、だれもそれを笑ったりはしなかった。

「なに、ああいう場面で怖くない奴なんかいないよ。突入前は俺も怖かったぜ」

そう言ってベルーがまたあの時のVサインを出すとまた小隊に笑いが広がった。

「いや、私は怖くなかったよ」

ルインがニヤニヤと笑いながら言うと、すぐに准尉が胸を張って続けた。

「私も怖くなかった。なぜか解かるかね」

准尉は小隊を見回して続ける。

「君たちが、とても冷静に行動していたからだよ。あの男は、その恐怖から逃げようとして、逃れることの出来ない恐怖から逃れようとして、パニックを起こしたンだ。恐怖に確りと立ち向かおうとそれを確り見据えれば、みんな冷静になれるものだよ。自分に打ち勝つことだな」

剛はあの狙撃手の男を思い出した。

「あのライフルを持っていた男は、何で出てこなかったンだろう。最後まで残っていたンですよ。私たち、ずっと睨みあっていたンです」

「彼も怖かったンだよ。そう思えたから、冷静に自分の行動の判断ができたンだ。君と同じようにね」

弱いものは兎角困難や恐怖に突き当たるとそれから目を背け、目の前の不安や恐怖から逃れようとし、
そして恐怖に追われ、恐怖に捕まって自分を失いパニックに陥る。

しかし自分を隠さず、冷静に判断することが出来る者は、それに立ち向かいそれに打ち勝つことができるのだ。

「うん、それと、多分、悔しかったのかも知れないなぁ…」

ルインがヘリコプターの来る方角を見て、笑いながらも感慨深げに呟いた。マジュビ准尉は思い出したようにベルーを呼んだ。

「あ、ベルー、来週から、第二分隊だ」

「ハイ! 了解しました」

それは第二分隊の狙撃手が帰任することになっているので、その後釜で彼が就くことになったのだ。

「おい、ツヨシ…今度は負けないぜ」

ベルーは笑って剛を振り返った。第一分隊と第二分隊の視線が分かれ、勝ちあい、乗り越えようとする(transcender)。

ヘリコプターの音が再び戻ってきた。埃と枯れ草を吹き上げながら農場に着陸すると、忙しなく人の入れ替えをする。
そして第一分隊と第二分隊を乗せて浮き上がった。

「さぁ、おうちへ帰るぞ!」

ヘリコプターは前のめりになって高度と速度を上げた。

開け放たれたヘリコプターの扉の外に広い密林の深い緑が地球を丸く現していた。
そして一旦速度を落として方向を転換したとき、剛の眼前に大西洋の大海原が広がった。

海の蒼は深く広すぎて焦点が定まらず遠近の距離感を見失うと、地球の裏側の日本が見えた気がした。

        

 参考 : 日仏間の軍隊の階級対照と名称は 三省堂クラウン仏和辞典による。


                       (了)

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