『照星(しょうせい)』 9

マトリッシュは剛に手招きで着いて来るように合図した。

二人は緊張で震える足を静かに出来るだけ早く動かして、藪を掻き分け斜面を登った。
分隊の進行方向に向かって突き出た稜線を登ると、そこに大きな木があり、その下は草地になっていた。
ほぼ四十メートルの高さから、行く手の密林地帯を上から眺めることが出来た。剛は銃のスコープを取り出して、草の陰から北北西の方向を覗いてみると、地球の丸さを現す広大な密林の中に、ぽっかりと穴のように禿げた、明らかに人の手で開かれたと思われる場所を見つけた。

剛はスコープをマトリッシュに渡して指差しながらその方向を覗かせた。

二人は目を合わせると、安堵感の笑みを見て取った。敵と思しきその位置がわかると、そこまでの距離を実感して敵が遠く感じるからである。

北北西、距離約千メートル。

二人は急いで斜面を降りると、マトリッシュが声を潜めてその状況をルインに報告した。分隊は十メートルほど下がって稜線の陰に入ると、無線で小隊へ連絡をした。
分隊は暫くその場に留まることになり、全員が敵の方向に向かって散開し、伏せて敵の方向を監視した。

「第二、第三分隊も合流してくる」

「第二小隊も、西側から発見したらしい」

声のボリュームを下げた無線が中隊の状況を伝えていた。

敵への距離と自分たちの現在位置が解かると、今までの緊張感は、自分たちの行動よりも敵の行動に注がれる。
全員が息を殺して、腰を落として決して気の抜くことの出来ない休息をむさぼった。

しばらくしてマジュビ准尉から進めの許可が出ると、再び偵察を続けながら歩き始めた。指令分隊が追いついてきているのである。

今度は敵の位置を知っているマトリッシュが先頭を歩き、二番手で剛がそれを追った。進行方向の密林の向こうが更に明るく見えはじめた。

霧ではない、薄青い煙が微かに漂っていた。

マトリッシュが手を挙げると分隊が止まった。

細い針金が草に隠されて左右に長く張られているのだ。

明るく開けた農場への出口までは百メートルほどの距離。

ルインが腕を挙げて全員に指示を飛ばすと、二人ずつ組になって、右の斜面、左の谷へと散開した。
剛は後ろを歩いていたカッフと組んで斜面を登り出し丘の稜線が途切れる崖の上の小高い地点まで登った。
そしてそれぞれの班が隠れる場所を見つけ出すと、目と指で互いの位置を認識し農場に向かって伏せた。
指示がすばやく伝わるように、そして機関銃などの一斉掃射で狙われないように、視界ぎりぎりに距離をとる。

剛とカッフは散開地点から丘を三十メートルほど登った所で、大きな倒木があるのを見つけてその場所を確保すると、そこからよく見える農場を監視し始めたのだった。

剛がスコープを覗くとカッフも自前で買った小さな双眼鏡を取り出して覗いた。

禿げ地に畑が見えた。
板を張り合わせて作った掘っ立て小屋も見えた。
剛はスコープの円の中に映っている黒い帯の幅で家の高さを割り出して角度を計算するとそこまでの距離を割り出した。

約五百メートル。 

次は小屋の周りを探し始めた。小屋の屋根はパルムの葉で覆われて、太陽に焼けてこげ茶色になっていた。

女が見えた。
子供もいた。
小屋の近くで男が焚き火をしている。
その青い煙が広がって密林にぽっかりと開いた竪穴のような農場に漂っていた。

双眼鏡から目を上げたカッフは剛を振り向いて、笑いを堪えながら、声を殺して話しかけた。

「すっげぇぜ! ありゃ大麻畑だな。あの深い緑の畑は多分、コカ畑だよ。コカインだ」

そこへトングがやって来た。

「何か見えるか」

カッフは双眼鏡を渡してその農場を説明した。
それを聞き終えると、トングが小隊からの命令を伝えた。

「今日はこのまま、ここで一夜を明かすことになる。第一小隊が遅れているンだ」

「ふん、指令小隊と一緒だからさ」

と、カッフは嫌味な顔を作って唾を吐きすてた。

「ははは、今回は憲兵隊も同行してくるらしい。逮捕しなければならないからな」

「このまま乗り込んで、あの農地にヘリを降ろせばいいのに」

カッフは諦め顔に言った。

「まだ、どんな武器を持っているか判らないンだ。対戦車砲で撃ち落とされたり、撃ち合いになったりしたらどうするンだ。逮捕しなければならないし…お前、怖くないのか」

トングの最後の言葉は多少口籠っていた。三人の間に沈黙が流れた。

「多分、帰りは楽だと思うよ」

剛のその呟きに、トングが振り向いて聞いた。

「ヤジマ、ちゃんと帰ろうぜ。な、カミカゼはなしだぜ。ところで、あそこに何人いるか判るか」

剛はカミカゼという言葉を鼻で笑ってから答えた。

「さっき数えたら、男が二十人ほど。女も五人ほど見えたよ。子供もいて、四人ほどかな。女の中には乳飲み子を抱えたのもいたよ。もっといるかも知れない」

「どんな武器を持っていた」

「そこまでは判らない。男は何か農作業をしているようだし、武器は持っていないから、まだ気づかれていないと思うよ。まだ距離があるしね」

「女や子供もいるのか」

隣でカッフが背嚢からビールの小瓶を取り出した。

 プシュ!

それを三人で回し飲みする。

「カッフ、これでも突っ込むのか」

と、トングは鼻で笑ってカッフを見やった。

「暫くしたら、指令分隊の奴を替わりによこすから、このまま監視を続けてくれ」

そう言ってトングはもと来た方へ消えていったのである。カッフは空になった瓶を朽ちたパルムの葉で隠した。

「カッフ、怖くないか」

剛は仲間が欲しくて正直になろうと思って小声で聞いてみた。

「お前は」

質問に質問で答えた。

パチ!

カッフが手に止まった蚊を叩き潰すと赤い血が滲んだ。
誰の血だろうか…傾いた太陽の光はすでに農場と密林の果ての空を赤く染め始めていた。

それで二人は黙ってしまったのだった。

     ******

小隊は丘を迂回して、農場からは丘の影になるところに小隊の指令分隊を置き、中隊と無線交換しながら、地図を見ながら指令を待つことにした。
日が沈むと大きな明かりはもちろん火も焚けない。夜の蛇はとぐろを捲いてじっと待ち続けのるしかなかった。

剛とカッフの替わりに指令分隊のフランス人バーディエー一等兵とセネガル人のディアン一等兵が熱源感知の暗視スコープを持ってやってきた。

剛は小隊に戻る前に、その暗視スコープを借りて農場を覗いてみた。丸い円の世界は、白と緑のモノトーンの世界で、森と畑と家屋がその濃淡で分けられて見える。家屋の裏側、西側では火を焚いているであろう、白の色が特に強く映る。畑の近くでタバコを吸う人の影がありありと見える。
タバコを吸う時に赤く燃え出す熱が白く光り、それを口から離したときは白の光も弱まる。
暗闇の中でも敵の一挙手一投足が把握できる。

剛はカッフと共に小隊に合流すると、背嚢から乾パンを取り出して食べ始めた。噛むと口の中を乾かす乾パンを水筒の水で無理やり胃に流し込んだ。
すでに水筒の水は半分に減っていた。そして雨具用のポンチョを取り出して腐葉土の柔らかい地面に敷くと、その上で背嚢を枕にして、銃を抱いて横になった。

時折無線機から人の声が聞こえてくる。

汗の臭いに興奮した蚊が眠りを邪魔した。

剛は先ほどトングが言った「カミカゼ」という言葉で思い出していた。

短い間だったが会社員をやっていたとき、上司が激を飛ばしていた。
突撃、特攻だ、背水の陣、死んだ気になって、当って砕けろ、逃げるな、と激しい口調で命を引き合いに出していた。

それが単なる例えに過ぎないのなら、その激も命も軽くて粗末に思えてくる。

そうでないなら自爆攻撃をするセクトでしかない。

しかし今の剛は命を落とすことが怖いと感じ、あの上司の飛ばしていた激が人の命を軽々しく扱う粗末な人の言葉に思えてならなかった。
冷静に判断すれば、撤退も作戦の一部。そしてたとえ逃げても、また別の日に別の方向から別の方法で攻めて勝てば良いではないか。

マジュビの言葉を思い出した。

『結果には良い結果もあれば、悪い結果もある』

まだ通過点だ。大切なのは冷静に目標を見極め、見逃さないことだ。

             つづく

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