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『パパが貴族』~金のかかる女 ぽーちゃん~(無料公開)



四十を過ぎたいい大人がいつまでも何をぐちぐちと……とお叱りを受けそうだが、あえて書く。

子供の頃おもちゃを買って貰えなかった。


ラジコン、ファミコン、プラモデル、キン肉マン消しゴムにビックリマンシールと、同世代の友達が夢中になっていたありとあらゆる娯楽と無縁だった筆者。
大袈裟でなく、刑務所のような少年時代である。


父は税関勤めの小役人で高卒の叩き上げ。
いや、大して出世もしなかったようなので、叩き上がってもいない。
“高卒のタタキ”くらいだが、特別我が家が貧乏だと感じた記憶もないので、諸々与えられなかったのは、鰹、もとい、父の教育方針だったということだろう。


その腹いせというのも捻くれた物言いだが、自分の娘にはすこぶる甘い筆者。
しつけの観点からは決して褒められた話ではないが、やはり色々してやりたいのだ。
勿論、際限なくではない。
あくまで、世間様並みにはである。


長女が4歳の頃、毎日のように遊んでいた玩具がある。
赤ちゃんを模した人形で、通称“ぽーちゃん”。
いわゆる、知育人形というやつだ。


正式には、“ポポちゃん”だが、まだ舌足らずの幼い娘がぽーちゃんと呼んでいたので、我が家では、自然とぽーちゃんに落ち着いた。

これが実によく出来ており、横たえると独りでに瞼が降り、スヤスヤと。
寝顔が実に愛くるしい。
子供が触れる物という気遣いからか柔らかく優しい質感の肌。
幼稚園に入るか入らないかの娘に、「よちよち、おねんねしましょうねー!」などと母性溢れる台詞を吐かせるのだから全く恐ろし……素晴らしい。
しかし、少々問題もあった。
この“ぽーちゃん”……何かと、金のかかる女だったのである。


赤ん坊を模した人形なので、おむつは当然としても、部屋着にパジャマにお出かけ用の服と、衣装が多い。
小物類も歯ブラシ、散髪(ごっこ)が出来る(切れない)ハサミに哺乳瓶などバリエーションは豊富。

ちなみに、この哺乳瓶でミルクを飲ませると、
「ゴクゴク……ゴクゴク……おいし―!」
と大層喜んでくれる。

声の出所はあくまで哺乳瓶で、乳首部分を人形の口に押し当てると、スイッチが入る仕掛けだが、これがリアル。
実際に、ぽーちゃんが喋っているようにしか見えない。

他にも、ドラム式洗濯機、アイロン、物干し台などのお洗濯セットやぽーちゃん専用のベビーカー、ベッドにトイレと何でも御座れ。

極めつけは、家だ。

と言っても、(人間の)幼児が2人籠れる程度の小さなテントなのだが、玄関やインターホンもデザインされており、もはや、立派な一戸建てである。

マイホームまで来れば流石に打ち止めかと思いきや、油断は禁物。

お次は、“一緒にお風呂に入れるぽーちゃん”が控えている。
当然、彼女の脇を固める小物類もズラリと。
端から、水陸両用仕様にしてくれればいいものを、また一から買い揃えねばならぬ。

賽の河原で石を積み上げた童が、
「これで父母に会える……」
と感慨に浸る暇もなく鬼が登場し、
「ガシャンガラガラガラ……」
と一蹴されやり直し、そんな気分だ。
とにかく、何かと養育費が嵩むのである。


様々なオプションの中でも、娘がご執心だったのは、“お医者さんごっこ”が出来るセット。
注射器、体温計、聴診器、飲み薬等を駆使して、
「はかりますよー……あー、これはおねつありますねー?」
「はい、おちゅうしゃしますよー!」
と甲斐甲斐しくぽーちゃんを看病する。

人形の表情も心なしか苦しそうに見えてくるから不思議なものだが、心配ご無用。
治療を終え、しばし経過を観察すると、
「はい、なおりましたねー!」
とあっさり回復するからだ。
ここまでが、ワンセットとなるが、峠を越えても即退院とはいかぬ。



ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「はい、おねつはかりますよー!!」
ものの三十秒もせぬ内に病は再発。
生来、よほど体が弱いのか、あるいは、現代医学の手に余る難病に侵されているのか、とにかく一向に良くならない。

かくして、筆者の記憶にあるぽーちゃんはいつも床に臥せていた。
いや、気の毒だ、などと人(形)のことを心配している余裕はない。

「パパー!病気になってー!!」
と火の粉はこちらへも振り掛かってくるからだ。
マッドサイエンティストさながらの無茶ぶりに、内心ギョッとしつつ、娘のこの一言で、突如、筆者は危篤状態に陥ることを余儀なくされる。

玩具の体温計を脇に突っ込まれ、注射を打たれ、薬を飲まされ……勿論、全て“ふり”だが、
 「だいじょうぶですかー?」
 「なおりましたかー?」
と娘の方は至って真剣。

ただし、注意すべきは、ここでうっかり、
 「治りましたよー!」
などと答えては藪蛇、むしろ逆効果だということ。
決定権はあくまで主治医……娘にある。
大抵の場合、彼女の見立てでは完治には程遠いらしく、
「ちがうでしょ!なおらないでしょ!」
と途端に機嫌が悪くなるので、
「うそうそ!まだ治ってないよー!」
と慌ててゴホゴホと咳込んで見せ、宥めなければならない。
本院はドクターファーストが徹底されているのだ。

(この子が、どれほど優秀に育ったとしても、医者になることだけは阻止せねば……)
そう固く心に誓いながら目を閉じれば、腕に生じる何かの感触。
(また注射か……)
これで何本目だろうか。
数える気力も失せた。


 もはやホラーの帝王、スティーブン・キングの名著『ミザリー』さながら。
人形と枕を並べての闘病生活は、娘がぽーちゃんに飽きるまでしばらく続くこととなった。





 


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