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でも、きっと空は晴れた

エジプト旅行中、イスラーム教の教えの下、4日間お酒を飲めなかった土田は、久々に飲む500mlの瓶ビールで早々に酔った。旅の疲れと気心置けない友達のフランクなまごころが、土田に弱音を吐かせた。
「人生ってさ、死んでほしくないって人を何人作れるかだと思うんだよね、一生のうちに。」
「うん」
「それと、まだ死にたくないって思う理由をいくつ作れるか。」
「おれは自分のために生きたいかな。まだ知りたいこといっぱいあるし。」
「知りたいって何を?」
「自分が50歳になったときに何してるかとか、どんな経験してきたかとか、考え方とか」
「ゆうきはポジティブなナルシストだ」
「ポジティブなナルシスト?」
数分前まで今夜バーで女の子にナンパしようとか、エッチするなら日本人か西洋人かなんて話をしてた2人は、急に話題の舵を大きく切る。唐突に。脈絡もなしに。
「ナルシストって承認欲求からくるものだと思うけど、ゆうきの場合は違くて。なんていうか、自分主体?」
「つっちーの生きたい理由なに?」
かゆいところに手が届く質問だった。土田は用意していたであろう回答を、さもお酒を理由にするかのように口にする。
「おれ、バンドとイギリス住むこと以外やりたいことなくて」
「十分じゃん」
「違うんだよ。バンドをもし辞めたとしたらイギリス住むでしょ?そしたらもう、やりたいことが一つもないんだよ。それが、どうしょうもなく怖くて。」
土田は日本で食べるよりもやや固めなポテトチップスを手に取った。
「でもつっちー旅行好きでしょ?それが生きる理由にならない?」
「旅行は好きだよ。だけどさ、それが生きる理由かって言われたら、好きってだけかな。俺趣味少ないし。」
年の瀬に5ヶ月間付き合った彼女に振られて以来、ポジティブに生きようと誓った土田にとって、2ヶ月ぶりのネガティブだった。

「ミキくんさ、正直あたしのこと好きじゃ無いでしょ?」
歯車の一部が破損したように、二人の歩く速度はぎこちなく落ちていった。
好きだと言えばいいものを、変に真面目なのが土田だった。歯に挟まった赤からで食べた白菜の繊維を、歯の隙間に舌を擦り寄せて取ろうとするのを一旦やめた。
「だんだんと好きになってる」
「好きって言ってよ」
好きと言うことのメリットと、好きじゃないけど一緒にいたいと言うことのデメリットを天秤にかけた。ここで好きと言ったなら、今夜はきっと彼女は土田の家へ行き、性だけを目的とした夜を過ごすことだっただろう。好きじゃないけど一緒にいたいと言ったなら、3週間程前から他に男の影がチラついていた彼女が、土田の前から離れていくのは明白だった。土田が選んだのは後者だった。
「今はまだちゃんと好きって思えてないけど、大切にしたいって思う。」
「やめてそういうの。私のこと気を遣って言ってるつもりかもしれないけど、結局自分が傷つきたくないだけでしょ?この場を濁してさ、都合いい人が欲しいだけでしょ?」
憎愛から来る彼女の憤りを受け止めながら、土田は歯に挟まった白菜を舌で取りきった。
「別れるってこと?」
「うん。」

土田が虚無に襲われたのは、恋人という唯一無二の存在が、一夜にして去っていったからではない。またも恋が愛に発展する前に、二人の関係は終わりを迎えたからだった。そしてその終焉に際して、土田自身が喜怒哀楽のどれもが当てはまらなかったからだった。無だった。土田にとって、何もかもが無だった。無は虚無を生み出し、虚無はやがて何もしてこなかった過去を養分に膨れ上がり、土田が今後歩いていくを道を真っ黒に塗り尽くす。
土田はよく「やりたいことがあっていいな」と言われた時、「好きなことやってるだけだよ」と返答する。しかし土田にとって、バンドはもう好きなことではなかった。音楽でお金を稼げてないので仕事とは呼べなかったが、それはもはや生活の一部であって、好きを感じるものではない。
高校の文化祭の出し物を機に結成したバンドは、高校卒業後に正式に活動してから6年の月日が経っていた。始めはグループメンバー4人とも皆大学へ通っていたが、事務所に所属してインディーズデビューをしたことをきっかけに、ボーカルとギターの2人が大学をやめた。その二人の説得もあり、ドラムも半年後に大学をやめた。土田は自分だけ大学に通いつつ活動をしていることを、後ろめたく感じていた。そのためレコーディングはもちろん、グループ全体で日程を調整する練習日でさえ、土田は大学の授業よりもバンド活動を優先していた。
そんなバンド活動はいつしか土田にとって、好きなことよりも、上手くこなすことになっていった。成功の保証のないバンド活動を、ただただ上手くこなす作業。

「ポジティブになろうって決めてたのに、やっぱ久々にお酒飲むとダメだね。ごめん、旅行中にこんな暗い話。」
「なんも暗い話じゃないよ。生きる目的を探したいってポジティブな話でしょ?」
タバコを口にくわえたゆうきが、ポケットにしまったライターを取り出しながら言った。
「そっか、ポジティブか。」
相槌を意識的に口にして、土田はグラスに入った残りすくないビールを飲み干した。
「見て、めっちゃエロいアカウントみつけた!」
重い一重のまぶたをこれまでもかと開ききって、土田にiPhoneの画面を見せるゆうき。
「誰これ?」
「うーん、素人もの的な?あんまわかんない。でもめっちゃ可愛くない?」
Xの投稿に載せられたURLを開き、スマホのボリュームを完全に下げたのを確認して、ゆうきは動画を再生し始めた。
「やっぱめっちゃ可愛くない?」
下半身が熱を帯びたのを感じた土田。「うん、可愛い」とだけ、言葉が漏れた。
「明日なにする?つっちー行きたいとこなさそうだけど」
「ちょっとね、ぶっちゃけエジプト飽きちゃったかも」
日本語が通じていないことを良しとして、声を落とすことなくエジプト人スタッフの前で当たり前のように土田は言った。
「ぶっちゃけるね〜」
眉間にシワをつくり、ほっぺたにチャームポイントのエクボを浮かべゆうきが返事をする。二人は声を出して笑った。
飲み干したビールグラスには、結露によって生まれた雫が、一滴二滴と机に落ちていった。


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