細やかな気遣い。と勘違いさせる女。
午後からのミーティングのために
朝イチ、相手にメッセージを送った。
『本日ご都合、体調おかわりありませんか?
ご変更があればお気遣いなく』
という内容だ。
これは自分にとって
リスクヘッジのつもりだった。
それにも関わらず、
ミーティング中に、
細やかな気遣いが嬉しかったと
言われてしまい驚いたのだ。
人によっては
いちいちわざわざ
ウザいと思われるような
内容だと思う。
もしワタシなら、、、
まぁ嬉しいか。w
と特に何か期待を
持たせようとはしていなかった。
5分前の
ドタキャンでさえ、
はい!喜んで!
と言えるほどの器量がある。
と言うわけではないが、
予定変更や突然の誘いを
神さまからのプレゼントだと感じる性格だ。
というより、
そうなったのだ。
それは昔、
ずっと若い頃に好きだった人が、
ドタキャンの鬼だったからかもしれない。
いつしか
ドタキャンを期待するまでになった頃、
わたしは気づいたのだ。
その人がその人らしく
生きることが何より大事で
ワタシが
わたしらしく生きることが
大事だから
別れようと。
もし彼が約束を守り
時間を守るような人だったら
ワタシは彼を
好きになっていただろうか?
きっとこたえはノーなのだ。
だからと言って、
約束や時間を守らない人を
好きでいつづける自信はない。
だから別れたのだ。
私はいつもそうやって
逃げてきた。
傷つことではなく、
その人を好きでいられなくなることに。
いつもそうやって
人との距離をはかって、
嫌いになり過ぎる前に離れるのだ。
だから夫とも
嫌いになり過ぎる前に別れたのだ。
だからいまだに元カレとも
一年に一度くらいは安否連絡を取るし、
夫ともまたよりを戻したのだ。
嫌いではなく、
好きじゃない。
この感覚がワタシの衝動。
誰かを嫌いになることが
怖いのだ。
それはきっと自分が
嫌われるのが怖いからなのかもしれない。
本当の自分が
どこにいるかなんて
知らないが、
まだ知らぬ自分が
怯えているのかもしれない。
ただまだ知らぬ自分は
もう少し人を好きでいたいと願って、
期待をしているのだ。
いや、今意識している自分も
期待している。
誰かを嫌うことは
コスパが悪い。
また誰かに嫌われることも
コスパが悪いと感じている。
だからと言って、
無難な性格でもなければ
無難な態度でもないのだから
改めなければならないところは
数えきれないが、
仕方がないところもある。
すいませんw
それはご愛嬌とみなしてもらえたら
ありがたいがそうでなければもう
諦めるようにしている。
そうじゃないと辛すぎるw
期待はしないが期待する。
それが本心本音。
好きや嫌いと言っているうちは
やっぱり好きなのだ。
だから今日も誰かを愛したいと思っている
自分を愛でるとするか...w