浅はかな人間でもいいじゃないか。エッセイを書いてみることにした
開設後すぐに放置してしまったnoteを再開してみることにしました。
その理由は、withnewsさんのイベントで背中を押されたから。
尊敬するライター・吉村智樹さんがご登壇されたオンラインイベント「現役ライター・編集者と考える withコロナ時代のメディアのお仕事」に参加したところ、そのお話がもう刺激の嵐!
これまでにも吉村さんご登壇の講義やイベントに参加したことが何度かあったのですが、そのたびに感動と尊敬の念が募る一方。今回ご登壇される情報を入手し、すぐに申し込みました。
今回のイベントでは、編集者・矢作ちはるさん、ライター・安倍川モチ子さん、withnews編集長・奥山晶二郎さんの4名でお話しされていて、withコロナ時代の働き方を赤裸々に語ってくださってビックリ。
有料イベントだったのでこの場では深いお話は控えておきますが、こんなに勉強になるお話を1,000円で聴いて本当によかったのかと思うほど刺激をいただきました。
そのなかでもっとも印象的だったのが、noteとエッセイについて。
withコロナ時代を生き抜くためにもエッセイを書く力を身につけたいと感じたのですが、エッセイって苦手なんですよね。
読むのは大好き。でも、書くことに抵抗があります。
昔はエッセイもどきを書くのが楽しくてよく書いていたものの、ライターとして仕事をするようになってからは自分をさらけ出す文章を書くことに強い抵抗が生まれました。
情報を伝える文章なら胸を張ってお届けしたいと思えるのに、エッセイとなると途端に筆が止まります。
弱みや悩み、思想を全世界に公開することに対して、丸裸で歩いているような感覚になるんです。
「浅はかな人間だとバレてしまう」そんな危機感をおぼえ、大人になればなるほどエッセイに向き合うことができなくなりました。
だから書いてもすぐに消したくなる。公開したらすぐ非公開にしたくなる。
つまりそれって、自分を受け入れられないということなんでしょうね。
自分を認められないから、内面をさらす作業に恐怖を感じるのだと思います。
でも、そうやって怯えながら鎧に身を包むことにも飽きたというか、そんな自分が残念だなと思うことも増えていて。ずっと誰かに背中を押してもらいたかったような気がします。
今回のイベントでエッセイやnoteの話は全体の一部だったのですが、全体を通してライターとしての核みたいなものを持っておく必要があるのだと実感させられました。
自分の核が培われていれば、世界がガラリと変わっても柔軟に姿勢を変え続けることができる。みなさんのお話を聴いていて、そんなふうに感じました。
思い返してみれば、みなさんちゃんと弱ったときのことや悩んだことも包み隠さず話してくださっていたんですよね。それってすごくカッコいい。
私も自分自身をまるごと受け入れられるようになりたいので、その一歩としてこのnoteを書いてみました。
初心忘るべからず。