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06. カメレオンになるまで

鳥居れなはカメレオンです
ふだん曲を書いたり、歌を歌っています。

私の歌を聴いてくれる方々にはよく、
「曲によって人が変わるよね」と言われる。

本気で音楽の道に進みたいと決心した
高校2年生当時の鳥居れなは、コピー機だった。

その当時はよく
「本家に声似てるよね」と言われた。

コピー機からカメレオンに至るまで。
鳥居れなの歌はただのモノマネだったのだと思う

人生で初めて受けた
テレビ番組のオーディションもフジテレビの
「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」
だった…。

凡人生まれの凡人育ちだが、
勘違いの天才であり、スキャン機能が搭載されて生まれたのかもしれない。
自惚に聞こえたらすみません。
搭載は調子に乗りました。

育った環境の中で
スキャン機能が養われたのだ…。

子供の頃から母の車に私が車に乗ったら
車内はライブ会場だった。

倖田來未さんの「キューティーハニー」も
Aメロの(こっちを向いてよ ハニー)は
もちろん、リリース部分を鼻にかけて
緩やかなビブラートでイの母音を大切に歌った。

母は笑っていたけれど。
おそらく似過ぎていたのだろう。

小学生の頃の記憶が、私には濃い。
担任の大川みちの先生は、
柔らかなオレンジのオーラの
優しいおばあちゃん先生で大好きだった。
大川先生は「文武両道」という言葉を
私たち2年1組の生徒に教えてくれたのを
よく覚えている。
私の将来の夢の一つでもある
「母への恩返し、親孝行」はここで生まれた。

鳥居れなが原田先生の元で
4年2組を生きていた頃。
大好きな音楽の授業中に、先生が突然
「れなちゃん声が綺麗だから
   みんなのお手本で歌ってくれる?」
と壇上にあげてくれた。
私は嬉しくて嬉しくて…
あの時のことは一生忘れないと思う。

当時授業で課題だった楽曲
「オーラ・リー / Aura Lee」を
先生のピアノで歌った。

歌い終わると、
クラスのみんなが笑顔で拍手をしてくれた。

きっと私は、あの瞬間に
「私にとって、歌うことって……」と
歌うことの喜びに気付いたのだと思う。

先生、わたしに大切なものを与えてくれて、
気付かせてくれてありがとう。

ただ、小学生なりに
(歌手になりたい)という希望が
どれほど過大なものなのかを理解していた。

私は心の中に隠し持つ〝もうひとつの夢〟として
大切に大切に誰にも言わずにそれを抱えていた。

では、公言していた夢とは何だろうか。

私の両親は、私が5歳の時に離婚している。
5歳児の鳥居れなの脳みそには、
綺麗なお花がたくさん咲いていて
大人のむつかしい話は分からなかったけれど、
母が注いでくれた愛情の大きさのおかげで
寂しいという感情はあまり記憶にない。

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