職場を離れる時

本日、現職場を卒業することになった。11ヶ月働いた。移動先は看護部である。専門の資格を持っている者として、フリーランスになるのは仕事しやすい環境になったと言うべきであり、現職場で労働基準法に違反する様な働き方をしていたので楽にさせてもらったと感謝すべきなのだろう。考えてみれば、前職場で専門領域の専従にさせてもらうための前段階として病棟業務をしていたのだが、その時は役付き業務は外されていたので、今となっては配慮ある働き方をさせて頂いたと感謝すべきことだった。現職場に転勤になる条件として、専門領域の専従をさせることはできないので、病棟の副役職として働いて欲しいと言われた。何十年ぶりかの復帰なのに傲慢になっていたのかもしれない。結局、副役職兼、専門領域を発揮できたはずの病棟は解雇になり、少し楽な部署に移動になった。しかし、物事は上手くいかなかった。コロナ禍が最も大きな要因ではあったが、個人的に実母、義理母、兄の病気に見舞われ、翻弄された。自身もコロナに罹患し長期に職場に穴を開け、私用で勤務変更も余儀なくされた。ようやくプライベートの事が落ち着き、職場もコロナの患者が激減し、これから新規のプロジェクトを開始し業務改善に本腰を入れようとするところであった。しかし、自身がやっていたことは所属長と喧嘩し、部署外と喧嘩し、スタッフからは浮いた存在。一緒に仕事すると振り回されるから大変だ。仕事がブッキングした時に双方をこなすことは到底無理だと言ったことは許されないとか、それなら上手く自分で采配しろとか、急変で困っているのに、専門領域の仕事をしていてを助けてくれなかったと言われる始末だ。なんとも不甲斐なく、考えてみればLINEで繋がってたのは所属長だけだった。同役職の者とも同様だ。自分の長所は全く出せなかった。移動の話をしてもスタッフの反応は冷静だったので、影で言われていたことはなまじ本当だったと実感した。直近の2ヶ月間で私も含めて2人移動になったのに不満が出ないのは現在患者が少ないからでもある。ある意味、部長の采配はGoodだったのかもしれない。これから、フリーランスとして必要とされる人になれるか否かは自分次第なのだが、この虚無感は所属欲求に満たされないことや、受け入れてもらえなかった不甲斐なさなのだろう。加えて、たくさんパワハラ認定してもいい罵声を浴びた心の傷が癒されていないこともある。なんとか自分なりの方法で乗り越えて行こうという気持ちもあり、音楽療法を始めている。また、こうしてnoteに書き記すことで他人に言っても愚痴でしかなく、打ち明けられた相手に迷惑をかけるだけなので、自身の心の内を吐露する場として、誰の目に止まらなくてもいいのでこの場を利用させてもらっている。泣くことしかできず、疲れて仕事に行けなくなるよりいいと思う。夫は退職することには反対であり、今日新たな病気の精密検査をすることを知らされ、益々、経済的、精神的な支えにならざるを得ないことがわかったので、こんな小さなことに負けては行けない現実を思い知らされた。誰かに慰めて欲しい気持ちもあるが、根本的解決にはならないので、できることをひとつづつ、丁寧にやり、前を向いていくしかない。いつか、こんなこともあったと言える日が来るだろうし、以前よりかは優しく穏やかになれていたらいいなと思う。50代は心豊かにが格言。誕生日月に涙が止まらなかった年は始めてだが、過去を洗い流していると捉え、生まれ変わった気持ちで、首の皮を残してくれた上司に感謝しつつ、今日の卒業の日を生きて行こうと思う。
#卒業  #移動 #メンタルヘルス #フリーランス

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