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勤労感謝

私は最近満身創痍である。

ついに、戻ってきた。かつての生活が。私の元居た場所で当たり前だった毎日が。なんとなーく「育休おしまい♡」「復帰しました♪」「働くママがんばる!」みたいなふわりとした毎日が終わりを迎え、「あのー私0歳児と2歳児の母ですけどーーー!」とメガホンで叫びたいほど何の容赦もない日々が、帰ってきた。

育休中、復帰直後ゆるりとやっていたとき、私はこれを渇望していたのか。今となっちゃ信じがたい。人というのは、つくづく喉元を過ぎれば忘れる生き物だ。学生時代の勉強の大変さを忘れてBar Examを受け、新卒投資銀行の超激務を忘れて好き好んで弁護士になり、陣痛や産後の痛みを忘れて2人目を産み、育休中の閉塞感を忘れて2度目の育休をとり、激務のしんどさを忘れて本格復帰を渇望する。そして激務に戻ると、ああ育休って幸せだったわん・・なんてことを思い始めるのだ。なんということだ。人生堂々巡りじゃないか。何周か回ってまた勉強したいとか思い始めそうで自分が心配。

久しぶりの私の平常運転は少なからず夫にも影響があったようで、最近夫は朝の準備やナニーとのやり取りの手際が非常に良くなった。なぜなら妻が機能しないからね!朝はギリギリまで寝て半目でシャワー浴びて携帯見ながらコーヒー飲んで子供の準備はまだか?と目で合図。(とんだモラハラ妻。)子供たちも慣れたもんで、デイケアにドロップするときも「ママ~行かないで~」なんてことは言う気配すらなし。「おし、しっかり稼いでこい」くらいのノリで笑顔で「よっ」と手を振ってくれる。(笑)子供と長く時間を過ごせない私はとにかく過剰なほど愛情表現をする。「アイラブユー!」「アイシテルヨー!」「キミカワイイネー!」と大騒ぎしながらデイケアを後にする私をにやりと見ながら、気のいい先生たちはあとはまかしとき、とどっしり構えていてくれる。感謝感激雨あられ。

子供たちはいたって健康でよく笑い、毎日楽しそうだ。夜ずっと仕事で相手できない日が続いても、ママのことは嫌いにならないでいてくれる。書斎から出ていくと、「ママー!!!!」と満面の笑みで抱き着いてくる娘を抱きしめ返しながら、胸がきゅうんと痛む。君だって一日中社会生活しているんだよね。大好きな先生や友達たちとはいえ、しっかりよそいきの自分で日々彼女なりに気を遣ってふるまっている。疲れたなあとか、帰りたいな、とか、思うよね。家に帰ってきたら、ママと一緒にぐだーっとしたいよね。
仕事も超急ぎじゃないときは、娘と一緒にソファに座ってノートパソコンでやるようにしてる。仕事がないときは一緒にポップコーン食べながらテレビみたりして。家で知育とか頑張る気力も余裕もない。私にも、娘にも、ぐだっと身を寄せ合う時間が何より大切なのだ。かたや息子はまだそのレベルに到達していない。とりあえず最近は色んな奇声をあげながら歩く練習をして、たまにソファから自ら落ちにいっている。でも息子も、ママに抱き上げられる瞬間、底抜けに幸せそうな笑顔で笑ってくれるのだ。あゝ子供の愛ほど深いものはない。

この極めてフェアで、何の容赦もない職場で産後働いてみて思う。子供を産み育て、かつ働く女性を社会として増やしたいのなら、必要なのは産後の女性に寄り添うだけの社会でも、フェアなだけの社会でもない。選択肢があることだ。

寄り添いすぎるのは、時に善意という名のもと、その人を土俵から引きずり下ろすことにつながる。ママだもんね。無理しないで。ママだもんね、バランスとりながらやりなよ。ママだもんね、我々がカバーするよ。それは有難い配慮であると同時に、お前は戦力外だと言われている気がするものだ。私なんていらない。私はお荷物だ。みんなに助けてもらって申し訳ない。そうやってお母さんたちの自己肯定感は下がる。

一方「フェア」はときにすごく残酷だ。出産育児を経て、自分でもわからない何かが、自分の中のソフトな部分を変えてしまう。そんな経験を、割と多くの母親たちが経験しているのではないか。能力値が落ちたわけじゃない。頭では同じように戦いたいと思っている。なのになぜだろう。昔と違う。これってなんだろう。横では「先週子供が産まれたんだよね!」とか言っている男性の同僚が、一切変化なくモーレツに働いている。焦る。自己嫌悪に陥る。私がだめなだけなんじゃないか。それが余計に自分を追い込む。人より働こうと躍起になる。そうやって気づくと限界を超えている。

産休育休という制度も、有難い反面、シビアだ。

私の業界では、女性の産休は「ブランク」には該当しない。2年連続で産休をとり、合計まる一年前線から離れていたって、私の年次は勝手に上がる。その間に死ぬほど働いていた同僚と、フェアに比較され、競争にさらされる。2年子供産んで帰ってきたら、えらくなってる。これって、全然ラッキーじゃない。ただただ、削られるんだ。

だから、会社がどうしろということじゃない。この複雑性と一緒に生きるのが、子供を産むということなんだと思う。生命の営みの根幹の部分だ。そんな片手間にできることなはずがない。全部ひっくるめて、面白さなんだ。昔思っていた、「私は子供を産んだって一切変わらずいられる」なんて幻想、大嘘だったと今ならわかる。

でもその複雑性と生きる女性が、「選べる」社会であってほしいと思う。優しい場所に行ったっていい。フェアな場所に行ったっていい。そのときの自分が求めるものをまっすぐに選んで、それがまた将来変わったときに、元居た場所に帰ってくることができる社会が最高なんだよね。

女性だけじゃなくて、男性だって同じ。レールから外れたらおしまい、なんて人生、他人にコントロールされて終わりじゃない。自分で自分の人生をデザインする。そういうことができる社会がいい。そういうことができる自分がいい。

と、理想を語りながら、今日も私は全力で「労働者」だ。
Happy Labor Day Weekend♡





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