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明智光秀が丹波平定の拠点として築いた亀山城 [京都府亀岡市]

(2021年4月のブログ記事を転載)


亀岡駅に到着。


その目的はといいますと、、ジャジャーン!
十兵衛さん、、いや明智光秀公でございます。

そう、亀山城攻めです。


織田信長の命で丹波平定を行う明智光秀がその拠点としてこの地に亀山城を築城し、江戸時代には山陰街道の要所であることに目をつけ、西国の大名に号令をかけ、近世城郭として整備されました。金吾(小早川秀秋)も一時期はこの城にいたようです。

亀岡市なのに亀山城?
と思ったのですが、この地は亀山という名だったのですが、明治時代に伊勢の亀山と紛らわしいから、亀岡と地名が変わったとのこと。


で、亀山城の遺構はあまりなく、明治時代の廃城令で思いっきりやっちまったようですね。というか、行ってみてびっくりしました。


さて、行ってみましょう。


お堀沿いの桜が綺麗ですね。城址と桜は最高の組み合わせですね。


おや、ここに門跡があったようで、その案内板がありました。


亀山城の案内板が立っています。いよいよ、本丸に攻め込みますよ。


さて、亀山城の縄張り図を見てみましょう。


えっ?えっ?えええっ?
事前に情報収集せずに行ったので、この縄張り図らしきものを見た時にびっくりしましたよ。えっと、市町村に払い下げられ、転売され、宗教法人が購入して整備した、、と。


おおおおー、そうだったのかあ、、、。


と、気を取り直して、天守台跡に向かいます。(ギャラリーへの入館券300円要)

石垣に苔が生えている城址なんて初めてですよ。
敷地内の庭園に自然に調和している不思議な空間でした。

遺構はほとんど残っていなくて、一部立ち入り禁止の場所もあったりするので、敷地内全部は見て回れませんでしたが、苔が美しい庭園になっていますね。


と言うことで、退却です。


城址を出て、旅籠町へ向かう途中、ここにも門跡の案内板がありましたね。


亀山城とその城下町は山陰街道の宿場町としてかつては賑わいを見せていたとのこと。所々にその名残りを感じることができました。


そうだ!
突然、いいことを思いつきましたよw


(終)

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