津軽海峡に面する中世城館跡 志苔館 [続日本100名城][北海道函館市]
(2020年8月攻城)
今回は函館空港のすぐそばにある室町時代に築かれたという中世城館跡、志苔館(しのりだて)を見学した話です。
函館駅周辺からバスを使えばいいものを何を血迷ったのか、9kmくらいならいい練習になると走って行ったのが失敗でした。とにかく、道中、暑くて暑くて、、。
志苔館がある志海苔町の案内表示が見えた時は、やっと、、と息も絶え絶え状態。
後ろを振り返ると函館山が遠くに見えます。ここまでよく走って来たもんだ。
しばらくすると城址の案内板が見えました。地味にあと240mもあるのか、と。
小高い丘の上に志苔館跡がありました。
室町時代には道南地方には12の和人の館があったそうで、志苔館もその1つで小林太郎左衛門良景なる者が居住していたと松前藩の史書に記されていたそうです。
早速、城址に入ってみますと空掘と土塁が目に入りました。
まずは居住していた館跡らしき場所へ入ります。
うーん、広々とした原っぱですね。見学者にわかりやすく館跡の仕切りが設けてあるようですが、草ぼうぼうでよく見えません。
こちらは津軽海峡に面している土塁になります。
ここに小林氏が居住していた館がありました。
史跡に関する案内板で郭内遺構は建物、柵、掘、井戸とあり、ここから陶磁器、金属製品などが出土されたとあります。14世紀末から15世紀頃のものとのことですが、ここ蝦夷地になぜ館を建てたのでしょうかねえ。
柵跡とありますが、草がぼうぼうすぎて、、よくわからないですね。
ここは井戸跡のようです。
さて、橋を渡って移動しようとしたら、地元の人らしき女性が犬の散歩をしていて、誰もいないと思ったのか橋の欄干に足を掛けて腹筋運動を始めました。うわ、、これはどうしたものかとちょっと遠巻きに見ていたら、その視線に気がついたようで、気まずい感じになったのがこちら…(苦笑)
橋を渡ったところはこんな感じで整備されています。確認できるのは土塁のみです。
遠くから見ると、志苔館の正面は2重の掘に土塁という構成になっているのがわかります。
津軽海峡に面し、函館山を遠くに見渡すことができる志苔館、なぜ室町時代にここに和人が暮らしていたのか、いやはや学ぶことは沢山ありますねえと実感した次第でございます。
余談ですが、 志苔館から空港までの行き方をグーグル先生にお伺いしたところ、空港の滑走路を横断するような経路を案内されまして、半信半疑で従ってみたところ、こういうことだったんですね、、なるほど。