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豊臣秀吉による小田原征伐で殲滅戦となった北条氏照築城、八王子城 [日本100名城][東京都八王子市]
(2022年1月攻城)
トレランの練習場所でお馴染みの高尾山ですが、北高尾にある八王子城を攻城してきました。八王子城とググると、検索候補に「八王子城 心霊」と出てくる有名な心霊スポットのようです。というのも、戦国時代に八王子城で起きたことを鑑みれば、まあ納得です。
八王子城は北条氏照(北条氏康の三男)により築城。
元々は滝山城を居城としていましたが、小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万に攻め込まれ、あわや落城するかもというところまで追い込まれ、滝山城の防御体制は不十分だということで、八王子(高尾)に新たに築城し、拠点を移します。
そばには甲州街道があるので、甲斐から進軍してくる武田勢を牽制するにもいい立地だったんでしょうね。
豊臣秀吉による小田原征伐で、北陸街道から進軍し、北関東の支城を次々に落としてきた前田利家・上杉景勝の1万5千の軍勢に攻め込まれ、その日のうちに落城します。当時、八王子城には城主の氏照やその主だった家臣たちはおらず、小田原城に籠城していました。
で、
利家・景勝は、鉢形城攻略のちいったん小田原に来り、秀吉に戦況を報告した。このとき秀吉は、利家・景勝らがいたずらに城兵に降伏を勧告することに努めて、力戦しないことを大いに諌めるところがあった。ここにおいて、利家・景勝らは八王子城を力戦攻取せんことを大いに決意し、
利家さんと景勝さんはラスボスに「お前ら、もっとやったらんかい。」と喝を入れられてしまったがために、この人達いきりたっちゃって、八王子城は殲滅戦となってしまうんですよね。
城内にいた氏照の正室を含め婦女子らは自刃、もしくは滝に身を投げました。そりゃ心霊スポットとか言われますわな・・。
こちらが縄張り図。
城下町に当たる根小屋地区、城主の館などがった居館地区、戦闘時の要塞となる要害地区に分けられています。
八王子城の模型を見てみると、広大な山城であったことが分かります。
まずは居館地区へ。
大手門跡。
そして、古道。
戦国時代に御主殿へ入る道として使われていたそうです。
曳橋。
こちらは復元したとかではなく、整備された御主殿跡に入るための通路としてかけた橋だそうです。当時はここにもうちょっと簡素な橋がかけられていたようです。
渡ります。
こちらは築城当時の石垣で、検出したそのままの状態にしてあるとのこと。
ここの踊り場に櫓門があった。
この石垣や敷き詰めてある石の大部分は当時のものを利用しています。
そして、御主殿跡です。礎石がずらりと圧巻ですね。
塀跡。
会所跡(再現)。
庭園跡。
いやあ、広いですね。
御主殿跡の発掘調査では色々なものが出てきたそうで、中でもベネチアで生産されたレースガラス器は国内での出土は八王子城のみだそうです。
そしてここが、、
御主殿の滝です。
落城時に、北条方の婦女子や武将が滝の上流で自刃し、滝に身を投げたという場所ですが、訪問した時には水は全くなく、乾っからに乾き切っておりました。
さて、江戸時代に作られたという林道を通って、次は要害地区に向かいます。
要害地区への入り口です。
金子曲輪跡。
都内を一望する眺めです。
柵門跡。
高丸跡。
本丸エリアに到着です。
本丸
曲輪がそんなに広くないので天守はなかったのでは?と言われています。
松木曲輪跡。
本丸から詰城へ向かう途中に、ものすごい、見事な堀切がありました。
詰城へ向かうトレイル。
おや?石垣?
詰城跡。
甲斐方面を監視する見張り台でもあったのでしょうか。
ついでなので、富士見台まで向かい、富士山を拝んできました。
根小屋地区には城主の北条氏照のお墓があります。
北条家の家紋は地元の人が作ったのでしょうか。
地味に登りますよ。
北条氏照と家臣のお墓です。
北条氏照は小田原城で切腹し、小田原にもお墓があります。
ん?よく見てみると、
お供えしている一円玉がやはり北条家の家紋(三つ鱗)ではないですか。
なんという粋なことを….。
次来る時は、今回見落とした部分もしっかり見たいと思います。
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