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長宗我部氏累代の居城、岡豊城 [続日本100名城][高知県南国市]

(2021年5月のブログ記事転載)


高知といえば、坂本龍馬かアンパンマンかってくらいに至る所で見かけますが、私の中では断然今は長宗我部家ですね。

長宗我部家は鎌倉時代初期に信濃から土佐のこの土地に移住してきたとのことですが、長宗我部元親の頃には土佐のいち土豪から勢力拡大し、四国全体をほぼ制圧するんですが、豊臣秀吉による四国征伐後は土佐一国に押し込められてしまいます。


今回は、その長宗我部氏累代の居城、岡豊城を攻城してきました。
移動手段は、、ママチャリ、といっても電動アシスト付きです。高知駅前の観光案内所で9-17時まで無料で貸し出しています。(というか、初めて電動アシスト付きの自転車に乗ったけどパワーがすごく驚いた。)


岡豊城のすぐそばには、高知県立歴史民俗資料館があったのですが、残念ながら閉館していましたので、真っ直ぐ岡豊城へ向かいます。


おっと、元親様の銅像がお出迎えです。これは高まりますね!


さて、岡豊城の縄張りを見てみると、、

詰とニノ段が連なり、詰を取り囲むように三の段、更に四の段がありますね。



丘陵に作られた城なので上ります。
途中までは電動アシスト自転車が大変役に立ちましたよ、、、。


二の段からの眺め



二の段は二の丸みたいなところでしょうかね。
ここには何の建物があったんでしょうかね。それとも何もなかったのか。


詰とニノ段の間には堀切があり、容易に侵入できないようになっていました。


詰下段と礎石がありました。見張りのための櫓があったのでしょうかね?


こちらは帯曲輪の三ノ段へ続くようです。


詰は本丸のようなところで広々とした空間が広がっています。


礎石跡がありますね。
ここに天守があったのか、御殿のような建物があったのか、、。


詰からの眺め

これが長宗我部元親が眺めていた風景、。目の前を流れる川が天然の要害ですね。



三ノ段にも礎石跡がありますね。


虎口跡

侵入する敵の直線移動を許さずに、溜まり場を作って、一網打尽にする感じですね。


虎口を抜けて、外に出ると切岸ありますね。先程の溜まり場のところですね。
盛土をして、登り辛くしています。


そして、横堀も。


竪畝堀跡もありました。

いやあ、久々の山城でワクワク、テンション上がりましたね。



岡豊城全景

田んぼの水面が光り、そして岡豊城址が映り、良い季節にやってきたなあ...。

と、電動アシスト自転車で次の長宗我部家ゆかりの城址へ向かいました。


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