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京都を模した城下町と大内館 [続日本100名城][山口県山口市]

(2021年4月のブログ記事から転載)


湯田温泉の旅館を後にし、とぼとぼ歩いて向かった先は山口市内中心部です。

そのお目当ては、大内館です。

周防・長門国を中心に治めていた守護大名、24代当主の大内弘世が、その地形からも京に似たこの地を本拠として定めて移り、京を模した街づくりをしたと言われています。そして、31代当主の大内義隆の頃、一時は中国地方大半と九州北部まで勢力を広げるも、重臣の陶隆房の謀反により大内家は滅亡し、その後、毛利氏が侵攻するんですね、、。


さて、そんな大内氏が作った城というか、守護館ですね。
土塁で四方を囲った館跡です。

大内館は大内家が滅亡した時にその役目を終え、その跡地に毛利氏が龍福寺を建てています。毛利元就の嫡男、隆元が人質時代によくしてもらったので、その恩に報いるため、大内家の供養のために建てたのでしょうか。


参道。


お寺の門に大内家の菩提寺とありますね。


さて、館跡の周りには土塁が残っているようですね。
土塁と道の間にはお堀があったと思われますが、埋め立てられていますね。


こちらは井戸跡。


池泉庭園。


大内館を取り囲む土塁をぐるっと見て回りました。

この後にある山に高嶺城があり、詰城になります。
四方を土塁に囲まれただけでは防御に不安がありますからねえ、、。今回は山城に登る時間がないので、またいつか機会があれば攻城したいと思います。



枯山水庭園跡(復元)



西門跡(復元)



大内館跡のすぐそばに築山跡がありますが、案内板が何だか、、、


あっ、敷地内にちゃんとしたものがありました。ホッ。
築山跡は別邸として利用され、迎賓館的な役割だったとか。



現在は神社になっています。


さて、山口市内の観光名所といえば、 五重塔と庭園が見事な瑠璃光寺ですね。

さすが、京に憧れた大内氏ですね。ここは京都か?と錯覚したくらい、、、。



そうそう、
大内館のそばにこんな名前のお店があったのでちょっと入ってみたら、、


なんと外郎のお店でした。

外郎といえば小田原と名古屋しか頭になく、山口市もとは知りませんでした。
まだまだ世の中は自分の知らないことだらけですね。



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