見出し画像

伊勢新九郎盛時(北条早雲)の旗揚げの城、興国寺城 [続日本100名城][静岡県沼津市]

(2020年11月攻城)


興国寺城は今川家に身を寄せていた伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、今川家の家督争いで甥の今川氏親を助けた功績でこの地を与えられ、初代城主となります。


戦国時代、沼津は今川氏、武田氏、北条氏の戦国大名三つ巴で激しい争奪戦が繰り広げられたことが、興国寺城の城主の変遷をみると良く分かります。

天文年間は今川義元の配下に、永禄年間は駿河に侵攻した北条氏の配下に、元亀年間の武田、北条氏の同盟成立後は武田氏の配下に、天正10年に武田家が滅亡すると、徳川氏の配下になります。

これも駿河、甲斐、伊豆の国境に位置したためでしょう。



ということで、興国寺城へ。

Untitled


三の丸、二の丸跡を抜けて、本丸跡へ。

Untitled


本丸跡には神社がありました。

Untitled




そして、初代城主の北条早雲稗が建てられていました。

Untitled

城址の入り口の興国寺城ののぼりは、北条家の三つ鱗でしたが、沼津の人にとってはここは北条氏の城ってことなんでしょうね。ここからまさかね、後に北条氏が広大な藩図を描くとは、早雲も思ってもいなかったでしょうね。(思ってた?)



興国寺城は土塁と空堀に区切られた本丸、二の丸、三の丸の3つの曲輪を連ねた連郭式の縄張りです。そして、北側に付随する北曲輪、東側に付随する清水曲輪で構成されています。

興国寺城縄張り図



遺構は本丸の土塁跡。

Untitled
Untitled



まずは大空堀を見に行こうかな。

Untitled




本丸北側の土塁跡。

Untitled


おおお、これが大空堀ですかね。

Untitled


本丸の北側を見て回ります。土塁がほんとにいいですねえ。

Untitled
Untitled
Untitled
Untitled
Untitled

もう見事な土木工事に唸るしかない。



さて、天守台へ向かいます。

Untitled
Untitled

天守台からは沼津の街を見下ろすことができます。


これは天守の礎石跡でしょうか。

Untitled



天守台から本丸、二の丸方面を一望。

Untitled




天守台から北曲輪方面を眺めます。

Untitled

北曲輪は新幹線通ってますけどね。


ここも天守台跡、端っこです。

Untitled
Untitled

なるほど、こういうふうに見えるわけですね。


天守台の石垣が残っていました。野面積みですね。

Untitled
Untitled


本丸の北側に土塁が積まれていて、そこが天守台となっているわけですね。

Untitled


また機会があれば、攻城したいですね。



いいなと思ったら応援しよう!

Rena@サハラ砂漠
サポートして頂けると単純なのでものすごく喜びます。サハラ砂漠の子供達のために使います。