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4.ジャングルウルトラ 2022 / リタイア後
3日目、CP1でリタイア申告。
この状態では4日目、5日目とレースを続行できる気がしなかったからだ。
大会車両に乗せられて、キャンプ地に戻ることなく、そのままスタッフの宿泊先で預け荷物を回収し、マヌ国立公園内の集落にあるホステルへそのまま投宿した。日本人選手のYさんに挨拶する暇も与えられないのか….。
このホステルにも大会関係者が宿泊していて、現地スタッフが家族ぐるみで経営している。
とりあえず、その日はシャワーを浴びてさっぱりし、晩御飯を食べて就寝。
翌朝、レースディレクターのクリスが部屋にやってきたので少し話す。
「2年後、2024年にリベンジする」
と、これだけは言っておきたかった。
今回のレースの敗因は「ハンモックの場所取り合戦に負けたこと」である。それは私が最終ランナーで戻ってきたから場所に選択の余地がなかった。次に出る時は、早くキャンプ地に戻って、良い場所を確保する。
コース自体は特に問題はなく、山の中のトレラン、しかも雨が降ってぐちょぐちょのドロドロのやつ、日本のレースと対して変わらないと思っている。
とにかく、場所取り合戦に勝つ!
さて、残り2日、レースが終わるのを待つか否か。ここにいても何もなくて、退屈でしょうがないから、自腹を切り、翌日にクスコへ車で戻る手配を大会スタッフにやってもらった。
と、クスコに戻る日の朝、日本人選手のYさんが宿泊しているホステルに来た。
Yさんは結膜炎になり、レースに支障をきたしたためリタイアしたと言うではないか!大会医療スタッフに応急処置をしてもらっているが、その姿が痛々しい。
一緒にクスコに戻ることになった。大会医療スタッフから、クスコで英語が通じる病院をいくつか教えてもらって、クスコに着いたら一緒に行くことになった。
クスコに戻る車は、ついこの間、私たちが駆け下った道をドンドン登っていき、標高がまた3,000mを超えた。
数時間かけてクスコに戻り、後は祭りで賑わうクスコの街を堪能しましたとさ。
(終)
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