山内一豊が5万石で入封、大幅に拡張した掛川城[日本100名城][静岡県掛川市]
(2023年1月攻城)
青春18きっぷを利用して静岡県掛川市にやってきました。掛川といえば、新幹線駅のプラットフォームから見えていた掛川城ですね。いつか攻城しようと思っていたのですが、ついにその機会に恵まれました。
掛川城がある遠江の地は、鎌倉時代からの守護である今川氏が治めており、その家臣の朝比奈氏に命じて築城したと伝えられています。戦国時代になり、桶狭間の戦い以後、今川氏が弱体化していくわけですね。
そんな中、永禄11年(1568年)、今川氏は甲斐から駿河侵攻をしてくる武田信玄と、三河から遠江へ侵攻してくる徳川家康から挟み撃ちに合い、今川氏真はこの掛川城に逃げ込み、徳川軍はそれを包囲し、家臣の朝比奈泰朝は粘ったんですけれども、ついに落城し、開城します。以降、この城は徳川氏が領有します。
豊臣秀吉の時代になり、北条征伐後に徳川家康は関東へ移封となります。代わりに入封したのが、秀吉の直臣だった山内一豊です。掛川城に5万石で入封し、天守など大幅な拡張を行い、近代城郭としての体裁を整えたとされています。
で、その一豊さんは関ヶ原の戦いの時の小山評定で真っ先に自分の居城である掛川城を提供し、徳川方に与することを表明して、東軍について戦ったんですよね。その功で、関ヶ原後は土佐20万石、加増移封です。
その後、掛川城には徳川家の譜代大名が変わるがわる入ってきます。
その掛川城へ行ってきました。
おっと、いきなりこの「徳川家康決戦の地、掛川」のぼりが目に入ってきました。今年の大河ドラマの準備万端のようです。
で、その掛川城なのですが、天守改装工事中で足場が組まれて、天守がすっぽり隠れてしまっていました。
うーん、残念ですが、工事が終了したら再訪ですね。
気を取り直して、大手門へ向かいます。
山内一豊がこの場所に大手郭を作り、その正門として設けたとのこと。
火事で消失してしまったので、この門は復元されたものになります。
こちらは大手門の基礎部分の遺構です。
大手門番所(現存)
明治時代の廃藩後に、元静岡藩藩士が居住用として譲り受けますが、後に、その御子孫が掛川市へ寄贈します。現在の大手門のある場所に移築されました。
大手門を入ったところから眺める掛川城いいですねー。
さて、いよいよ掛川城本丸へ攻め込みますよ。
と、その前に、三日月堀。
本丸門の前面に配置された三日月状の堀で、深さは8mあったとか。
本丸へ通じる四つ足門(復元)
掛川城の立体模型ありました。
本丸を囲む十露盤堀。
十露盤堀から天守を見上げます。
本丸へ入る門跡。
と、残念ながら、現在改装工事中のため、ここから先の本丸や天守がある曲輪へは入ることができません。工事が終わった頃に改めて出直します(涙)
名残惜しく、十露盤堀から本丸への入り口みたり、、
天守を下から眺めたりします。
天守は1994年に日本で初めて木造で復元された木造復元天守になります。残された絵図などを元に忠実に再現されているとのことです。見たかったー。
山内一豊が掛川城の天守と同じように建てたとされている高知城の天守を参考にしながら、それと近いものにしたとのこと。
天守の向かいは二の丸御殿があります。
ん?二の丸茶室?
将棋の勝負が行われるような場所なんですね。知らなかった。
竹の丸跡。
江戸時代には武家屋敷があった場所ですが、明治以後は地元の豪商が購入し、屋敷の建て替えを行い、その屋敷が掛川市所有となり、現在に至るそうです。
入場料を支払えば、屋敷内の見学はできるようですが、またの機会にでも。
二の丸御殿(現存)
入場料を支払えば中に入ることはできますが、またの機会に天守とあわせて見学したいと思います。
二の丸御殿から曲輪跡を眺める。
帰りも少し名残惜しく、振り返ってみました。
この櫓は三の丸から本丸に移築された太鼓櫓(現存)です。
修復工事が終了したら、また改めて攻城します。