徳川四天王、本多忠勝が10万石で入城した大多喜城 [続日本100名城][千葉県夷隅郡大多喜町]
(2022年11月攻城)
千葉県は大多喜町のトレイルレースに出場することにしたんですが、そのレースというのが本多忠勝を全面に出しまくってるものでして、、。
で、無知な私は、あれ?ホンダムって上総国となんか関係あったっけ?と、完全に私の平八郎さんのイメージは桑名城でございました。
豊臣秀吉による北条征伐の後、徳川家康は江戸に移封となるわけですが、その時に本多忠勝は徳川家康に上総国10万石を与えられて大多喜城へ入城したんですね。
そこで安房国の里見氏を牽制というか、見張るというか、抑えるというか。それで城持ちになっていたとは知りませんでした….(汗)
元々はこの地に小田喜城があり、真里谷氏が築いたのが始まりとされていて、里見氏の家臣の正木氏、そして本多忠勝へ、、、。で、今日のこの城は本多忠勝が築いたものとされているらしいんですが、、、。
ということでやってきましたよ。
駅前に巨大な大手門がありますが、これは遺構でも何でもない感じですね。
で、メキシコ通り(なぜにそんなネーミング?)を緩やかに上って行きます。大多喜城は平城かと思っていたら、平山城なんですね。
右手は整備されていますが、本丸の跡あたりと思われます。
本丸の下を流れるのは御禁止川、城主が江戸時代にここで魚を取ることを禁止したから御禁止川と呼ばれていたそうです。
大多喜城趾の入口に到着しました。
奥に見える丘は二の丸跡かな。
大多喜城の縄張り、そして天守(模擬天守)は入れないようですね。残念。
大多喜水道跡。
本丸目指して、緩やかな坂道を登りますが、所々に良い土木工事の跡があります。
空堀跡なんかもあったりして、思わず身を乗り出して見てしまいました。
二の丸跡の一部は公園として整備されているようです。
この階段の先は、、、
やっぱりな!これ間違いなく門跡だと思うわ!
本丸へ向かいます。
大多喜城天守です!
大多喜城の天守については、存在した説としなかった説と割れているようで、私は存在しなかった説を採用し、模擬天守と表現させて頂いております。
天守そばに土塁が残っていました。
塀についての案内板が詳しくて分かりやすい。
天守台の石垣はついついじっくり見ちゃいますね。
しかし、これはいつ作られたんだろうか、、、?
二の丸跡に大井戸が残っているのですが、そこは高校の敷地内、、
でも、なんとか本丸から見ることができました。
あと、遺構として薬医門もあるんですけど、これも高校の敷地内に、、、
って、週末だし、人少ないし大丈夫かなって、恐る恐る行ってきました。
もう少し歩けば大井戸だったんですが、まあ上から(本丸から)見れたしいいかな、と。
大手門跡。
その当時、大手門を抜けると(もし天守があったら)こういう見え方したんですかねえ。
そういえば、天守の脇に研修館なる建物があったんですが、、
入場無料で、撮影もOKだったんですけれども、レプリカの甲冑ばかりでした。
ホンダムの甲冑ももちろんあり、徳川家康、井伊直政はまだわかるのですが、なぜに真田信繁(幸村)の甲冑があるんだろうか、、、?
むしろ置くなら、ホンダムの娘(小松姫)の旦那さん、真田のお兄ちゃんの方じゃね?とか思ってしまうんですが、、?
かと思うと、おおおおーっ!!てなるやつとか展示されていたりします。
資料館とかの展示って面白いですよねえ。
大多喜城を後にして、町をふらふら散歩することにします。
中心部からちょっと離れたところの橋(行徳橋)に忠勝様の銅像が!
彼の視線の先にあるのは大多喜城でした。
忠勝様が建立した良玄寺。
お寺の脇には忠勝公園があり、そしてその奥には墓所がありました。合掌。
大多喜町は房総の小江戸とのことで、街歩きをしていたら江戸時代にタイムスリップしたかのような景観に癒されました。
町全体で忠勝様推し、私も忠勝様が主人公の大河ドラマ見てみたいですねー。
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