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本能寺の変、進軍ルートを辿る旅 22.7km [京都府亀岡市][京都府京都市]

(2021年4月のブログ記事を転載)


亀山城跡を見ていて、ふと思ったんですよ。


「あれ?ここから本能寺までの距離ってどのくらいあんの?」って。で、Googleマップで調べてみると30kmもないではありませんか。あ、これ、やろうかな、うん、やろう。


は本能寺にあり!!


明智光秀の気分を味わうべく、ここから本能寺まで自分の足で行きますよ。
どのようなルートをとっていたのが、ググってみると、京都新聞の記事が出てきたので参考にしました。

6月2日は「本能寺の変」 明智光秀の進軍ルートをたどる 記者3人で夜通し25キロ|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞



と言うことで、亀山城の中心で(小声で)叫んでみた。

敵は本能寺にあり!!



いざ、出発です。
山陰街道をとぼとぼ歩いたり走ったりして、京都市内の本能寺跡地を目指します。


さすが宿場町の街道沿いにはそれらしき建物が残ってたりするんですねえ。


そして、こんな案内板を見つけました。

おおお、明智光秀の名残がここに残っていました。歴史好きになってから、街歩きをしていて見つけた案内板は立ち止まって読むようになりましたね。



おっと、危うくそのまま真っ直ぐ行くところでしたが、間違いそうな場所にこうして案内板があるのは有り難いですね。



おお、なんか雰囲気出てきましたね。


ここはかつて船着場だったとのことですが、今は川に水が辛うじて流れている感じで、とても船が行き来していたようには見えませんね。

かつての物流拠点だったのか?


へー、占い石とな。


残念ながら、私が通った時には誰も座っていませんでしたが(笑)



いやー、雰囲気出てますね。

落武者狩りに遭いそうな


からと越え(本能寺の道)とな、案内助かります。



老ノ坂トンネルにやってきました。

夜に来たいとは思わないな


ちゃんと歩行者と乗用車のトンネルは別にしているのですね。助かります。



ついに京都市内へ突入です。

当然のごとく歩道なし


伊賀越えの時も思ったのですが、人通りがない峠道って道路脇にほんとポイ捨てのゴミが多いんですよね(怒)



山陰街道の沓掛、T字路に着きました。ここ、とても重要な場所ですよ。

歴史上の転換点と言って良いのでは?
思いっきり住宅街になっている


明智光秀はもともと秀吉の備中高松城攻めの援軍に向かう予定になっていました。


でも、方向的にここって逆方向ですよね?
何も知らない家臣や兵には摂津国経由で行くと伝えていたとか。で、ここが摂津と京への分岐点となる場所なんですよね。このまま真っ直ぐ進んでいったので、中には「???」となった者もいたんじゃないですかねえ。


そして、ついに桂川に到着です。
ここで明智光秀は京に向かうこと、そして敵は本能寺にあることを伝えたとか?

桂川を渡っていると、愛宕山見えました。
この山の頂上に愛宕神社があって、数日前に明智光秀はお参りに訪れて、おみくじを何回も引いたとか?



そして、ついに本能寺跡に到着しました!!

いやあ、石碑だけでものの見事に遺構らしいものは何もないですね。



Garminの記録

明智光秀が亀山城を出たのが前日の22時とかありますが、朝6時頃に本能寺に着いたとされているので、かなりゆっくりとした行軍だったことが伺えます。
ガッツリ走ったら25kmなんて3時間もあれば着いちゃいますしね。


この日は京都市内のホテルに宿泊し、翌日は伊丹に移動して帰宅しました。


(終)


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