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寂しさってどこから?

恋人と別れて約2週間がすぎた。ありがたくも時は平等に一定に流れていく。
気持ちの整理ができなくて、新たに出会った男とLINEを交換したものの、ブロックしてしまった。しかし寂しい夜を堪えきれなくて、共通の友人にまたLINEを聞いて再びメッセージをするというメンヘラっぷり。メンヘラというか寂しさは人をおかしくするという事を体現化したような話。
前回の記事では恋人とは綺麗な別れ方ができたように思えたが結果後味の悪いものになってしまった。お互い別れてから連絡を取らないようにしていたのに、私からしてしまった。1回目は、より戻したいLINE。2回目は酔った勢いで電話しないかLINE。どちらとも別れた彼女の振る舞いとしてはカッコ悪い。未練たらたら女になってしまった。絶対自分から連絡しないと決めていたのに。寂しくて。嫌なことがあると彼に救いを求めてしまう依存性。
そんなある日、彼からブロック&インスタのフォローを外されてた、、

これを自分で知っちゃうあたりもなかなかの女子具合。ええ、そりゃあもちろんストーリー投稿して元恋人が見てないのを確認すると即フォロワーを確認。そこに彼のアカウント名はなかった。嫌な予感がし、ラインのブロック確認。彼はすでにスタンプを持っていた、、という流れを数分の間にしました。
そりゃそうだよね。と思いつつ、その事実は私を凹ませた。こんな悪夢はあるだろうか。私は別れてもなお、彼との関係性にわずかだが期待していたのである。

とまあ、こんな感じでここ2週間ほどで起きた事をつらつら書いてみたのだが原因は紛れもなく「寂しさ」にある。
自分の中で寂しさをうまくコントロールすることができれば
ここまでの悲劇は生まれなかったのではないかと思う。
寂しさはどこからやってくるのだろう。
そもそも人はなぜ寂しいと思うのだろう。
なぜ依存してしまうのだろう。
そしてその寂しさはなぜこんなにも心を支配し、極端な行動へと導いてしまうのだろう。
コントロールが効かないのだろう。
わかってる。心のどこかではわかってる。
夢中になれるものがないからだ。自分を愛せてないからだ。自分で自分を満足できてないからだ。他人に期待してしまってるからだ。自分と向き合いきれてないからだ。
でも。わかっていても寂しさに負けて男の人という不確定の対象物にぶつけてしまうのである。

しかしこう思うのは私だけではないはず。みんな心のどこかでは抱えている。社会では平気なふりをして仕事をし、人と会い、話している。
でもここの底では抱えきれない虚無感に襲われているのではないのだろうか。
だって、みんながみんな自分のしたいことができる世の中ではないから。
自分を見つめ直し、向き合うことが1番の近道という事を教えられてないから。恋人、物などが寂しさを埋める手段として用いられているから。
こんな世の中、苦しくないか。生きにくくないか。
私は寂しさが生まれる理由として、「自分のしたいことができてないから」とした。もちろん大前提として自分のしたいことがわからない人がごまんといる。もしかしたらそこが答えなのかもしれない。
私たちはあまりにも社会の常識やルール、価値観に毒されて、本当の自分を知らない。
私みたいに寂しい夜を過ごして欲しくない。
みんなが心が満たして眠りにつく夜にしてほしい。
寂しさはそういったものから生まれていると思った。寂しさはどこから、、?
今日の曇りは持ってかれそうになるねあの世に。でもまだ心残りがあるならダメだよ。とことん向き合って、自分の寂しさと。何かで消費してはダメ。他人に求めてはダメ。私が私の一番の理解者であるように、寂しさを受け止めてあげる。「寂しいよね、よしよし」って。
話はそこからだね。
寂しさってどこから…?

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