
女の子にならなければいけないと思っていた僕—両親へのカミングアウトの話
私は男として産まれて、ホルモン剤を摂取していた経緯のある、
現在は男性のパートナーがいるMtXです。
今のパートナーに出会い、中途半端になってしまった私のパーツ全てを個性として受け入れ、恥ずかしいところ、どうしようもないダメな点も含めて存在そのものを認めてもらうまで
「僕は完全な女の子にならなければいけない!
それでなければ生きる価値がないんだ。
きっと誰からも愛されない!」
…と
脅迫的なまでに強く思い込んでいた時期がありました。
可愛いものが大好きだった私。
家では妹や女の子の友達とお絵描きや、動物のぬいぐるみで遊び、母には「おままごとの衣装」として可愛い手作りの服を頼んでいました。
一方で、外では男の子たちとサッカーやゲームをして、
いつもとりとめのない会話をしながら過ごしていました。
産まれた時代のおかげかもしれません、そんな私の個性を、両親はある程度理解してくれていたのだと思います。
けれど、思春期を迎える頃、周囲が「恋愛」に目を向け始めた時、私は違いました。
先生に抱かれたい
クラスの女子に恋愛的な意味で意味での興味が持てない自分。
ましてや同級生の男子にも興味を持てません。
そして、密やかに先生や先輩など年上の男性に抱かれる自分を想像してしまうこと。
逞しい腕や胸。それを考えると満たされてとても幸せな気持ちになります
しかしそれが何故なのかわからず私は恐れていました。
その時丁度クラスの男子の間でゲイを題材にした動画が流行っていてクラスメイトが
休み時間、「ホモに掘られるぞ!」とふざけて笑うのを聞いて、決して自分の本心を明かすことはできませんでした。
どうやら男同士が抱き合うのは世間にとって「笑える面白いこと」という認識だったようです。
それ以来、そう言った感情は「汚いもの」として蓋をして
とにかく「普通」であることを装い、ただ目立たないようにしていました。
その一方、男子たちの中では女性タレントやアイドルがかわいいという話で持ちきり。
「誰で抜いた?」と直球な質問もあり、その場で思いついた適当な名前を言って誤魔化しました。
薄々自分が間違っていておかしい気がしてきたので頑張って思い込んで好きになる努力をしました
補足:
人生の殆どを100%ゲイだと思っていたのに、なぜか最近になって女性の魅力にも気づいてきました。お付き合いしたことはありませんが...
ある日街で男女のカップルが仲良く肩を寄せ合ったり、手を繋いで歩くのを見てやがて
「あ、もしかして完全な女の子になれたら、僕は誰にも変に思われないんだ。
そうでないと価値がないんだ。...誰からも愛してもらえないんだ」
...と、病的なまでに思い込むようになりました。
(これはもしかしたら、それ以前に愛着障害を拗らせていたのかもしれません。根深い問題です)

カミングアウト
特に自分におちんちんがあることを恥ずかしくて醜いと感じて、大きくならないように押し潰したり、「ないもの」として過ごしました。
しかし思春期に入り、少しづつ体に変化が起きていてそれが怖くて嫌で仕方がありませんでした。
そして偶然ネットで見つけたトランスジェンダーの話は私の心に深く響き、ついに母にカミングアウトする決意をしました。
今でもはっきりと覚えています。
夏の終わり、夕焼けが窓から差し込む夕方のことでした。
母が化粧台の前でメイクをしている時、私は意を決して言いました。
「僕、女の子かもしれない…」
母は一瞬黙った後、穏やかに言いました。
「知ってたよ。〇〇ちゃんは小さい頃からそうだったものね。おちんちんも小さいし」(←それは多分関係ない)
その言葉を聞いた瞬間、私は今までにない安堵感を覚えました。
でも、きっと母は複雑な気持ちを抱えていたのでしょう。
顔は見えなかったけれど、その静かな空気が教えてくれました。
その晩、母は父にも話をしてくれ、二人ともできる限り私を支えてくれると言ってくれました。
彼らはトランスジェンダーに関する本や記事を一緒に探し、私が病院でホルモン療法を始めることを応援してくれました。
その後両親は職場や他者に私を説明する際に少しでも配慮しようと「息子」という言葉ではなく「子供」と言葉を変えてくれるようになりました。
元々色が白くて小柄だったことと、早期に治療を始めたおかげで外見はいわゆるパス度の高い方になりました。
初めてのお付き合いをする
そして大学時代、私は女の子として初めて男性とお付き合いをするようになりました。
周囲に事情を話していたので皆優しく理解を示してくれて
その時の気分は人生の全てが始まったかのような夢心地でした。
毎日が新しく、キラキラしていました。
しかしその後、
初めて同棲した憧れの先輩から行為を終えた後に何気なく言われた
「君の体も美しいけど、結局は女性の体の方が魅力的なんだよね」
その言葉が私の心に深く刺さり
そこで初めて、いくら治療をして外見を似せても中身から本当の女の子には絶対になれないということがわかって酷く動揺しました。
それは自分でもわかっていたはずなのに、見ないように考えないようにしていたことだったのです。
その時、私は実家を離れていて周囲に当事者もいなかったため
こんなに孤独で苦しいなら産まれなければよかったとまで思ったこともあります。
街で男性からチラチラ見られて気分が良くなったり「お姉ちゃん」と呼ばれた時はパスできて嬉しいと思ったり、
しかしどんな時でも内心「騙してごめんなさい、本物ではないんです」
という罪の意識がついて回っていました。
そんな辛さを紛らわしたくて、寂しさを埋めたくて気づけば誰にでも身体を預けるようになっていました。
勿論身体だけの関係は心の隙間を完全に埋めることはできません。
でも心の中の痛みを忘れられるのなら、たとえ一瞬でも現実から逃れたい。
そう思うようになったのです。
パートナーと出会う
そしてある日、ネットで今のパートナーと出会い泣くほど激しいSM調教生活を通して
私のしかたないところ、ダメなところ、汚い面も含めて全てを愛してもらいました。
彼には初恋の相手の時感じたようなトキメキや「好き」という気持ちはなかったものの、次第に離れられなくなり、どういうわけかすっかり彼の家に住み着いてしまうようになりました。
私が嫌いだった体のパーツも、彼からは気に入ってもらえて少しづつ愛せるようになりました。
そして共に過ごし時間が経過するに連れて私はMtFのように心の底から女の子だったのではないとわかりました。
私の容姿は小柄で、色が白いため一般的には「かわいい」と受け入れてもらえますが、
体が完全な男ではなくなってしまったことから俗に言う「ゲイ受け」するわけではないことと、体だけの関係を求めるコミュニティには馴染めず
ここに投稿するまでは自分を理解者のいないマイノリティであると感じていました。
もう男でも女でもない
私の選択に後悔はありません。
ただ、今でも地元にいる祖母には伝えられていません。
特に幼少期、祖母が私をどれほど愛してくれていたかを知っているからこそ、
ひ孫を見せてあげられないことに対しては、申し訳ない気持ちを抱えています...
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