日記 0918

依存だろうと執着だろうと、恋をするのは素敵なことだと思う。人からキモいと思われるのも、実際気持ち悪いのも、犯罪にならなければすべて美しいと思う。本気なら。

わたしは本気の感情を潰すのってずっとダサいと思っている。それはわたしの軸にある美しさへの渇望が強すぎて、やがて関わる人間すら喰い尽くしたときがあっても、それでも後悔しなかったからかもしれない。音楽ができればいいじゃないか、絵が描ければ社会貢献だ。そう思うのはきっと、人間を信用していなくて、ずっと遠くの未来のことを考えているからかもしれない。

最近、ずっとやる気が起きなくて、光栄なことはたくさんあるけど、身体の痛みや体調不良を優先するようにしている。わたしは受動的なきらいがあるから、いつまでも王子様を待つ癖があるというか、とにかく外部刺激がほしいきらいがあるのだけど、その傾向を毒親だどうだ言うのはちょっと違うなと思う。わたしはいまの形になったこのわたしを愛している。

SEKAI NO OWARIにタイムマシンという曲があって、「君と出会わなければ僕が僕じゃなくなる」と言って大切だった好きな人の存在の記憶を消さないことを選ぶんだけど、深瀬のとんでもない鬱の時期に書かれたというこの歌詞が好きでよく聴いている。あたしを形作っているのは悔しいけどいいこととわるいことの全てで、嫌な人たちも含めて苦しい人間関係が消えうせたこととか、それでも嫌なのが楽しかったかもねとか、いろいろ思い出しては他人事のように思う。家族の理想どおりに言うことに従っていればいい気がしたからついつい正解を求めてしまうけど、自分のロールモデルがほかにどこにもいないことに絶望する。わたしは賢いから、と選んできた社会的な選択が正解なのかわからなくなってよく落ち込む。そんなことの繰り返しである。

わたしは、いままで好きになった人はもちろん、仲良くしてくれた人の全ての記憶を引きずって生きている。人にとってはそれが重荷かもしれないけど、すごく誇りに思っている。消えないよ。

でも、創作における記憶の処理の仕方はわかっても、生きていく方法はさっぱりわからない。才能がある人は助けてもらえていいな、とよく思うが、実はそんなことないのかもしれない。

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