死ぬ前に考えること

自分がZ世代の範疇に入ることをさっき知った。

え、私ってまだ、若いんだー。そう思った。色んな方面から殴られそう。ごめんなさい。あんまり自分のことを若いと最近思えなくて。バイト先の新人はみな15歳かそこらで、21歳にして一応まだ新人の部類に入ると信じて疑わない私は肩身の狭い思いをして……はいないけれど、歳を聞く度にちょっとだけ傷つく。15歳でも21歳でも精神年齢は変わらないのでみんなタメ口で話してくれて、みんなちゃん付けで呼んでくれる。私の名字は割と印象的なので、私が15歳でバイトを始めた時から、どの職場でも名字であだ名がついていたけど、初めて下の名前で呼ばれている。ちょっと不思議だなって思う。でも嬉しい。

テレビはあまり見ないけど、たまに"Z世代の新常識!"とか特集組まれてるのを眺めていると、私の常識と違うな〜。と思うことが多くて、自分はZ世代じゃないもう1つ上の世代だと勘違いしていた。
Z世代っていうのは、インターネットが普及している世界で成長してきた世代のことを言うんですね。それなら私は確かにそうだ。

初めて携帯電話を持ったのは小1の時。当然ながらガラケー。というかPHSだった。ピッチである。ピッチ知ってるZ世代、珍しいと思う、多分。小学校に上がって、行動範囲も広がって、自分1人で習い事に行くこともあって、あと単純に鍵っ子だったりもしたし(鍵っ子ってもしかして死語?)、父が某携帯会社に勤めていたこともあって、子どもに携帯をというのがあまり普及していない頃から持たせてもらっていた。

といっても、所詮はキッズケータイ。確か1番最初は、電話を掛けられるのは3件、電話を受けるのも電話帳に登録されている番号だけ、メールはできない。娯楽は……内蔵されていた謎のゲーム。覚えているのは、カメラを使ったゲームで、画面に表示された色のものを探して撮影するというゲーム。文字の色と、表示された色が違って(青色の文字で赤と書いてあったりした)、どっちを撮影するのかは忘れてしまったが、中々面白かったように思う。あと他に2つ3つあったかな。

そのうち、年齢が上がると、メールも使えるようになる。その頃になったら、周りのお友達も数人だけど携帯を持ち出していたので、お友達とメールをするのも楽しかった。あと、やっぱりメールは大人のもの、ってイメージが当時はあったから、自分が少し大人になった感じがしてそれも嬉しかった。娯楽は……覚えていない。ぷよぷよが出来た記憶が少しある。ぷよぷよ、最近やってないな。アプリあるかな。あったらやろっと。

小学校5・6年生くらいになると、周りのお友達の中にはスマートフォンを持ち出していた。その頃からiPhoneを中心に、スマートフォンが普及し始めたのだと思う。私はと言うと、中3までiPhoneは買い与えて貰えなかった。だから、ちっさいガラケーで友達と一斉送信メールで夜な夜なアニメの実況中継をしていた。7・8人でやってたもんだから、よくパンクしていた。センターにメールがあります。ってね。懐かしすぎてびっくりする。まだ7・8年前なだけなのに。

初めてのスマートフォン、iPhone5s。昔から音楽を聞くのが好きだったので容量は確か、128GB。ちなみに今はiPhoneSE3の256GB。本当はiPhone13miniの512GBが欲しかった。父にねだったら当然ながら却下された。そりゃそうだ。正直1TBのiPhone13Proも魅力的だなあと思う。20万超えてて嘘だろ?!って思ったけど。……嘘だろ?MacBookより高くない?え……嘘だろ?……本当らしいです。iPhoneって怖い。

そう、iPhone。これを持ってから色々と生活が変わった。それまで、パケット通信を使うと莫大な通信料が取られるもんだから、制限されていたのに、スマートフォンは寧ろ通信料が取られることばかり出来る。電話やメールなどの連絡手段として、ではなくて、ゲームができるゲーム機として、インターネットが使えるパソコンのようなものとして、そして、SNSを通して"繋がる"機械として。

私はSNSが嫌いじゃない。
てか、嫌いな人いる?みんなやいやい言いながらずっと使ってんじゃん。私が小学生の頃より、ずっと当たり前になってる。私くらいの世代なら多分、ネット上に個人情報を載せてはいけません。って小学校とかのインターネット講座?みたいなので教わってる。だから結構気を遣ったりする。まあ、私の学歴は芸能歴でもあるので、出身短大だけは晒している。母校を誇りに……はあんまり思ってないけど、好きだったし。塚本学院出身って言うとエンタメの業界だと少しだけ得らしいし。ま、四大じゃないんだけど。ここまでセットです。何が言いたいかと言うと、JKの頃にTikTokなくて良かったなあってこと。黒歴史製造機でしかない。こういう感覚はZ世代らしくないのかもしれない。インターネットが身近過ぎるのもなんか怖いなって思う。これは小学生の頃の刷り込みかもしれない。インターネットは怖いですよってたくさん言われたし、個人的に釘を刺されたこともある。今思うとクソほどどうでもいいことで釘刺されてるし、鍵かけてたのにこじ開けてきた上で釘刺して来る方がキモいし個人情報勝手に見てんじゃねえよって思うけど。わざわざ紙に印刷してこれ貴方でしょ?って言われたの一生忘れん。Webページ紙に印刷するのウケる。ダサい。ごめんなさいって言わされたのが本当に意味わからなくて許せない。小学校の頃の先生だいたい嫌い。あんな偉そうに君臨してるの本当に意味わからなくて草。先生って人種基本的に大嫌いです。

話が逸れた。
SNS、嫌いじゃない。
むしろ好き。
Z世代らしい承認欲求、すごくある。
私は、不特定多数からの賞賛より、知ってる人達からの賞賛が欲しい。
いいねが欲しい。
いいねは"生きてていいね"だから。
認めて貰えないと生きてる感じしないから。
"生きてていいね"って自分が1番自分に思えないから。
死ぬことにはポジティブだけど生きることには大抵ネガティブだから。
情緒というものが大抵不安定だから。
ま、別にいいね貰ったからって生きよ〜!とは思わないけど。

じゃあなんで生きてるんだろうなって思うけど、それはもう紛れもなく推しくんの存在であって。

この"推し"というのがZ世代ぽいらしい。
ちなみに私は推しくんに認知されたいとは思わない。……でも多分ちょっと現場に行きすぎて覚えられかけてる節は少し感じる。
それは置いておいて。私は基本認知はいらないと思っている。認知を貰ったらそれは個として推しに認識されるということで。それは嫌だ。シンプルに怖い。街中で知らない人に声掛けられた時並に怖い。なんでこんなに嫌なんだろうって考えるけど、あんまり腑に落ちる答えは自分でも出せない。でもとにかく認知はされたくない。
推しに対しての承認欲求はあまりない、ってことなのかもしれない。ない……のかなあ。でも推しに課金する時はこの何割推しに行くんだろ……とは考える。チェキとか1000円のうち400円くらい本人に入ってて欲しい。そんなに入らないと思うけどさあ。自分は養われている側の人間だけど、自分で自分を養ってる推しの養分にはなりたい。だって日本って生きるの大変じゃん。慈善事業だよ。日本嫌いだよほんと。最賃を1500円に!とか言うのに扶養は上げてくれないじゃん。扶養上げてくれないと時給上がっても意味ないっつーの。byバ先の限界JK
私もそう思う。学生だって金はかかる。化粧だってしたいし、若いうちに脱毛とかもしたいし、免許取りたい人だっているし、学生じゃないと出来ないことはしとかないと。どうでもいいけど制服ディズニーとかもうちょっとしとけばよかった。
すごく話が逸れた。

推しへの承認欲求の話。
私は推しがいるから生きてる。
推しが死んだらどうするかって?
後追いする。……多分ね。
だって生きてる意味ないじゃん、推しがいない世界なんて。
私が勝手に生きる糧にしてるだけで、それを推しに押し付けたくない。だから認知されたくないのかもしれない。
推しには推しの人生があって、好きに恋愛して欲しいし、結婚だってして欲しい。だってすごくいい年だから。そろそろアラフォーの昭和生まれの推しくん、そろそろ浮いた話も聞きたいし、夫になった推しくんの芝居、お父さんになった推しくんの芝居、おじいちゃんになった推しくんの芝居、全部気になる。でも、推しくんがこの仕事を辞めたくなったなら、すっきりすっぱり辞めてくれたっていい。私はそれに口出しできる立場じゃないから。

宝塚が好き。
初めて贔屓が出来たのは16の時。贔屓になって半年で贔屓は卒業した。卒業してすぐは芸能活動をして、テレビにも出ていた。私の話だなと思う話をバラエティ番組でされたこともある。その時、彼女の脳裏に私の顔があったとしたら、なんかすごい嬉しい。彼女から認知を貰っていた。だってファンの中で1番子供で、それで、いつも泣いてたから。ムラのお茶飲みの時も泣いたし、東宝の新公の出待ちでも泣いたし、東宝のお茶飲みでも泣いた。もちろん千秋楽の日も朝から何回も泣いた。でも、フェアウェルパーティーの時だけは泣かなかった。そんな私を見て、彼女は私の肩を抱いて写真に収まってくれた。撮影が終わったあと、私の目を見てニコッとして頷いてくれた。だから、泣かなかった。泣いてる暇もなかった。ひっきりなしに組子が遊びに来る。誰が持ってくる話も本当に面白い話ばかりで、さすが私の贔屓と思った。そんな贔屓は、そのうち飽きられてテレビになんて出なくなった。その後も多少は芸能活動をしていたようだけど、そのうちどこでも見なくなった。それから何年か経って、結婚したと彼女のInstagramで報告があった。それから、子供もできた、と。知らない間に贔屓が人の嫁になり、母になり。どんな気持ちでそれを聞けばいいのか分からない。でも言えるのは、私がどうこう言える立場じゃないということ。確かに私と彼女はお互いのことを認識していたけど、タレントとファンという関係は絶対に超えられない。超えてはならない。そういう暗黙の了解で成り立っているのが推し活だと思う。
でもこれだけ言ってもいいですか?泣いてる私を慰めた時に「辞めてもまたいつでも会えるから」って言ったけど私、まだ貴方が退団してから1回も会えてない。こんなに会いたいのに、会えてない。もう辞めて、5年近く経つんだなあ。昨日の事のように色々思い出せるのに。でもちょっと懐かしさもある。


なんか若い世代で括られてるけど、個人個人で趣味趣向は違うし、勝手に色々決めつけられるのは嫌い、って話。
別にZ世代だからって何もかも壮絶じゃないし、そんなのフィクションだし。ノンフィクションの場合も往々にしてあるけど。
※このおはなしはすべてノンフィクションです。

わたしはわたしをとくべつだとおもってるよ。
じゃないと、いきてるいみをみつけられないから。
そんなわたしをこっけいだとおもう?
わたしはおもう。
おもうけど、やめられない。

そんな感じ。
眠いし痛いしキツいししんどいし単位とか欲しくないけど明日ネイルだし出かけなきゃいけないのに意味わかんない。
そんなに大卒って必要ですか?
大卒が欲しいのは私じゃなくて、パパだよね。
私のために、っていつも言うけど、誰のため?パパのため。パパがパパ失格だと思っちゃわないために大卒が欲しい、ただそれだけ。
そんなふうに考えてる時点で、パパ失格だよ。
養ってくれて学費全部出してくれて生活費もくれて遊びに行く時もたまにはお金くれて旅行に行ったら財布の紐めちゃゆるゆるなってブランドもんでも買ってくれる優しい人だけど、私はずっとずっと貴方のことが嫌いだよ。勝手に生み出して勝手に期待して俺の娘だからって勝手に縛り付けて勝手に期待外れだって言って、私は貴方のクローンでもないし、試作品でもないし、ひとりのにんげん、なんだけどな。

正面向かっては言えないことを文字にして言葉にしてインターネットっていう海に吐き出してそれで少しスッキリしてそれでいいとは思わないけど、そんなその場しのぎをしたくなる日だってある。

吐きそうになるくらい自分が一番嫌い。

たまに思う、ああもう死んじゃおうかなが今日。今この瞬間。飛び降りる勇気もなくて、飛び降りない勇気もなくて。1人ベッドですすり泣いてそれで終わり。

死ねる勇気のある人はいいなあ。

こうやって私は、死に憧れる。

推しくんがいても生きる意味がわからない日はあるし、生きたくない日もあるし、女の子って月に1回、50歳くらいまでこれが続くと思うとやっぱり今すぐ死にたい。

縋っていい存在が欲しい。
それが承認欲求って言葉で表現されるとしたら私はそれを欲してる。

仕方ないから今日も生きるよ。だって最前のチケットあるし。

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