幸せの先
幸せの先には何があるんだろう。
この上ない幸せの後って、何も残らない。
虚無がこの手から零れ落ちていく。
何でこんなに幸せなのに、虚しいんだろう。
私は、幸せなまま死にたい。
だから、今、死にたい。本当に、死にたい。
今死にたいんだけど、普通にチケットはまだあるし、この先の推しの仕事も決まってるので死ねないし、この先まだまだ幸せになれる瞬間なんていくらでもあるから、まだ死ねない。
でも確かに今思うのは、今この瞬間に死んだとしてもこの世に後悔も未練もないということ。そのくらい今日が幸せだったし、満足してる。
苦しいくらい愛おしくて、愛する存在が出来るって幸せだ。例えそれが推しだとしても。推しだからこそ。今最高に幸せだから、今最高に苦しいし、虚しい。恩師が、「演劇は終わりがあるから美しい」と言っていた意味がなんだか分かるような気がする。そこにあるものは必ず終わりが来る儚いもので、もちろん今はブルーレイやらDVDやら配信やらで、記録としてはこの先も残っていくけれど、私の今、この瞬間の、この思いのこの記憶はいつかなくなる。もちろん忘れないように、こうやってnoteを書いたり、インスタに投稿したり、ツイートしたりするけれど、あの時の私に見せてくれたあの顔は、きっといつか忘れる。儚い夢だ。私は夢を金で買って生きている。人は夢がなければ生きられない。私の夢は、ここにある。劇場という空間にある。もちろんいつかは私が夢を渡す側になるという夢もある。でもまだ私は夢を貰う側。ありがとう、夢。
現実があるから、夢がある。それはよく分かっている。分かっているけれど、やっぱり現実は嫌いで、なんで生きているのかもよく分からないし、生きている価値があるのかも分からない。でもどれもこれも、今日、この夢を見るためだと思ったら、今までの大変だったこととか、クソ死ねくたばれクソババアと思ったこととか、全部全部報われる。苦しいから幸せを見い出せる。
幸せを、夢を、与える側になれたらどんなにいいだろうと思う。
最近私の心にグサッとくる言葉を見つけた。
なにか物事を、やりたいと思うのは1000人、やってみるのは100人、続けるのは1人。私は続ける1人にならないといけない。続けられたとしても、じゃあそれで飯が食えるか、それはきっとNO。だとしても、趣味でもなんでも、私は私を言葉で表現することは辞めない。これからも細々と、まずはこのnoteから続けていく。もしかしたらバズるかもしんないしね。一向にそんな気配もないんですけど。みんなさ、読んだら拡散して?色んな人に私の事拡散して?面白かったら、でいいからね。強制じゃ、ないからね。(圧)
全然なんの事か分からないように書いてるけど、今日は皆さんエゴサするらしいので。ツキステ。第13幕の話でした。ブルズもダンサーズもオリキャラズももちろんグラプロも、みんなみんな、大好きだよ!ところで、ブルズの中でひたすらアクロバットしてる方がいるんだけど、どなたなんだろう。もし、これを読んでくださったら、いいねでもRTでもして、自分ですとお知らせ頂きたいです。毎回密かに楽しみにしてる私がいる。今日はずっと逆立ちしてらして笑っちゃった。崩しにかかる人もいたから……さ。
さ、明日は現実。仕事。頑張れ、私。頑張れ、世界。