歌の表現についての考察。

Aメロ、Bメロ、サビ!

みたいな言い方は、そろそろ卒業してほしいものだと思うのだが。

どうせ、こんなことを書くと噛みついてくる人は何人もいる事は承知で書く。そろそろ、その日本独自の新興宗教みたいな教え方を脱却してほしいと思うので。バンドブームの時に出てきた得体の知れない言い方じゃねぇか、そんなもん。


さて、英語詞の歌を、如何に歌うに当たっての考えのベースを、私が若手に説明する時に教材にしてるものはこれだったりする。

これは、過去の日本人の歌い手やプロデューサーや教育の人達で、こういう言い方や教え方をしている人間を、この50年間見た事が無くて。

寧ろ、いつもお世話になっている高橋郁子さんをはじめとする脚本家や声優の方々が、キチンと言語化されていたことに嬉しくなったものである。

では、この歌を、以下の区分でモートン・ハルケット本人は自覚的に歌ってるかというと、そこも実際は分からないのだが。(何となく、でも、キチンと歌の機微を理解できてる人は少なくないので)

ただ、歌詞と歌い方がキチンと連動しているという事が明瞭に分かる教材としては最高レベルにあると思う。

さて、この曲の歌詞を見てみよう。こうなっている。

[Verse 1]
You say the world's an eventful place
You give me news I don't want to know
You say that I should care
That I should speak my mind

[Chorus]
Oh, but how can I speak of the world rushing by
With a lump in my throat and tears in my eyes?
Oh, have we come to the point of no turning back
Or is it still time to get into the swing of things?

[Verse 2]
Let us walk through this windless city
I'll go on 'til the winter gets me
Oh, sleep, you wrote sleep, my dear
In a letter somewhere

[Chorus]
Oh, but how can I sleep with your voice in my head
With an ocean between us and room in my bed?
Oh, have I come to the point where I'm losing the grip
Or is it still time to get into the swing of things?

[Bridge]
Oh, when she glows in the dark and I'm weak by the sight
Of this breathtaking beauty in which I can hide

Oh, there's a world full out there of people I fear
But given time I'll get into the swing of things
Yes, when she glows in the dark and I'm struck by the sight
I know that I'll need this for the rest of my life

Oh, I know that I'll need this
For the rest of my life
You know that I need
You know that I need

[Chorus]
What have I done? What lies I have told?
I've played games with the ones that rescued my soul
Oh, have I come to the point where I'm losing the grip
Or is it still time to get into the swing of things?

Aメロ・Bメロ・サビとやらのおかしな言い回しの構成に慣れた人たちからしたら、この曲の歌は盛り上がりに欠けるとか言い出しかねないんだけど。

大体、その言い方自体がおかしいんだって。

Aメロ・Bメロ・サビとかいうそれ「クライマックス」って文学の修辞を使ってるのであって、ストーリーで盛り上げる必要もないのに、音楽とはこうあるものとばかりに無駄に「クライマックス」を毎回使ってる方がイカレておる。

それに、この曲は「Bridge が クライマックス」になってるだろう。

言ってしまえば、この曲は、売れてしまった A-ha が世界中を回る事で、彼女とも思うように会えない生活をしていく中で、自分は時の振り子に振り回されてるけど、君だけしかいないんだ!と、ステージの上から歌いまくってしまったがために、日本の夢多き(あわよくば彼女になろうとした)オネェチャンたちを絶望の淵に叩き落とした名曲であると、個人的には思っている。

君だけしかいないんだ、がステージの御前の人たちでなくてw
遥か彼方の、ガチの自分の彼女に向けて。

そんなことは、別にどうでもいいのだが。色恋沙汰を音楽に絡めて、相手を期待させるようなアイドルビジネスや、いたいけな子供にパンチラやらせてポルノまがいの事をやりたがる日本人の前で、これほど

僕に彼女いますから!!!!!

言ったおかげで、Take On Me 以来の不純なバンギャが見事にいなくなったのは、実にユカイツーカイな出来事であった1986年の冬w

だから、そんなことどうでもいいから、サッサと先へ行け!

先に言っておくけど。

歌には3種類の歌がある。


[Verse 1]

このパートは、モートンの歌い方としては、ナレーション(Narration)である。
一言で言うなら「この曲のベースになる物語を語っているセクション」と考えればいい。

だからよく見たらいい。

[Verse 1]
You say the world's an eventful place
You give me news I don't want to know
You say that I should care
That I should speak my mind

I が主語になる文節が一つもない。
自分の感情や言葉が主体の場所じゃないから。
君は言ってた、って他者視点から語られてる言葉なのだから、そんなパートに無駄に感情を込める必要はない。というか、入れたらくどくてしつこい。

だから、一歩引いた形で感情をこめずに割とサラッと歌っているのである。

[Chorus]

このパート、モートンの歌い方としては、モノローグ(monologue)である。簡単に言うなら「独白(ひとりごと)」である。

「登場人物が相手との会話なしに、自分の心境心情や考えについて述べるセリフ」
である。

言うなれば、自分の「心の声」聞き手に対して、今、自分がどんな気持ちであるかを分からせるために伝えるパート。実は演劇用語なんです。

実は、歌の素人さんにとって、このナレーションとモノローグの区別をつけるのが実に難しいのだ。てのは、ナレーションよりも、ほんのちょっとだけ、自分の感情の機微が見える様にしなきゃいけない。

けど、ここでの感情をあまり大げさに脚色すると、それ以上に盛り上げます、みたいな流れがあった時に、無駄に力が入り過ぎてクサくなる。

この匙加減が難しい

モノローグでは、概ね、感情は込め過ぎてないんだけど、感情は他人事よりも前に出ている、ってことを観客に伝えなければいけないので、ピークよりも、エモーションやパワーコントロールが控えめでありつつ、それでいて、的確に気持ちや感情を伝えるっていう一番の歌い手の腕の見せ所だと個人的には思う。独白に力込めすぎ、感情込めすぎだと、自分に酔ったみたいな感が出っぱなしなのであって。

こう書くと、何も考えてない人は、教科書的に「モノローグを全部控えめに歌う」のだが。「自分に酔っぱらってるキャラクターを自ら演じる歌の場合」は、当然、ここ、ワザとらしくクサく演じるってことも含みで、真面目に考えなきゃいけない部分

その教科書的な暗記方法を何とかしろ、と言いたくなるのはこの部分。

私が、こういう文章をマジで書きたくないのは、レシピに書いてあることを何でもかんでも機械処理にしたがる奴らが、この国にはあまりに多すぎることであって。曲とはキャラクターマッチングと、その人の語り口調が生きてくるものだと常に言ってるのは、こういうことです。

悪いんだけど、その3擦り半で、ウッ!とクライマックスに行くような歌は、そろそろ何とかならんもんかと思うのは、こういう機微が表現できてない点。浅い点。甘い点。無駄に叫んで暴れたところで、感情表現などにならんのですよ。普段から、演技したいのなら、演劇の勉強しろと言ってるのは、こういう部分だったりする。

[Verse 2]

ナレーションに見せかけといて、実は、前半は、自分の決意表明としてのモノローグ。自分の考えを、迷いなく明確に言い切るような力強さを歌に込めている。それでいて力は込めすぎない。静かな決意の表明。

[Verse 2]
Let us walk through this windless city
I'll go on 'til the winter gets me

さらに凝ってるのは、手紙の中の彼女の言葉を、あたかも彼女が語り掛けてきてるかのように、普段の自分の口ぶりや発声や歌い方とは、違う形を取って処理している。一人二役の声をさり気にこなして、歌に織り込んでいる。

落語のような技法である。それもさりげなく切り替えて、かつ不自然にならないように、キャラクター変更を一瞬で自然にやらかしてる。

Oh, sleep, you wrote sleep, my dear
In a letter somewhere

歌詞の流れに即して、機微に即した、歌い分けの見事な表現である。デヴィッド・ボウイも、この曲の中でやっているんですけどね。

[Bridge]

この曲の一番のコアであり、彼女への言葉が、直接、方向性を向いていくところ。

[Bridge]
Oh, when she glows in the dark and I'm weak by the sight
Of this breathtaking beauty in which I can hide

これまでの歌い方よりも一段、パワーや歌い方を落して、じっくりと構えるように、彼女が自分にとってどんな存在なのかを静かに語る。徹底的に内的なモノローグだが、パワーを一段と下げる事で、逆に彼女への感情の重みが前に出てくるところが非常に美しい箇所。

なのに現実とか、自分の回りを取り巻く環境は、ということで、最初のパワーレベルに戻して、そこへのいら立ちとか、その中で深まっていく彼女への想いを、少しだけ前に出していく。

階段状に力加減を調整しながら
これまでのChorusとは明瞭に歌詞の言葉数のペースを上げて、感情の起伏を強調
しだした・・・

Oh, there's a world full out there of people I fear
But given time I'll get into the swing of things
Yes, when she glows in the dark and I'm struck by the sight
I know that I'll need this for the rest of my life

ついにファイナル・アンサー。
ここのセクションでは、彼女が、あたかも面前にいるかのように語り掛ける。自分の想いを他人にぶつける、フルパワーの感情爆発シーン。

この歌い方が、3種類の歌い方の最後、ダイアローグ(Dialog)なのである。相手が面前にいるかのように思いや感情をぶつける。

Oh, I know 
For the rest of my life
You know that I need
You know that I need

そんなこと、先生は教えてくれなかった?
歌詞の意味合いや、その言葉のターゲットは誰に向けられているのかを読み取れば、答えなど書いてあるようなものだが。

あとの[Verse 3] くらいは自分で読みとって考えて欲しい
そんなのも自力で読み取れない人が、歌をうまくなる方法聞いたって仕方ないんだと僕は思う。歌の物語性や演出効果を、自分の歌詞の中で自力で考えられないのも道理だよね。そんなんじゃ・・・。

だから、好きな人の歌真似してるだけ、って言われるんだよ。
そんなの自分で歌詞とか書く必要もない。

自分でその歌い方も自力で考えられないのなら。
自分の歌なんて言えないんじゃないのかな?

まとめ

歌には3種類の歌がある。

ナレーション、モノローグ、ダイアローグ


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