脳内妄想放送局による作曲(4)

さて。

ここが重要な話になると思うのだが。

想像力を鍛える訓練ってのは、実は学校でもなかなかやってないのである。
例えば、子供の頃に

「ダメでしょ!そんな事を言ったら、相手がどんな気分になるのか分からないの?」

想像してご覧、って言われて、大概、想像なんかできないし、してないのである。精々、自分の行動を否定された、とか、叱られたから、と不承不承、反省したふり、謝ったふりをしているだけで、実際にその事を想像した事など無い人間の方が多かろう。

大体において、想像力を養う訓練などしたことが無いのである。
だから、懲りないのである。

禁止されたら、それを破ってみせるのが俺流、みたいな考えの浅い輩が増えるのも致し方あるまい。

50年近く経とうが、OutsiderDesperado の違いさえも分からないのだ。
ちなみに、この文章は Outsider 目線 で書かれていますけど。

さて。

脳内イメージは個人によって違う

当たり前の話だが、自分の頭の中にあるイメージを具現化する時でも、個人が何をどこまで想像しているのかっていうのによって、そのイメージは千差万別だ。

例えば、経験や知識も豊富だったり、または絶えずイメージングの訓練をしてきた人間が何かをイメージして想像するのと、全く何も知らない人間が、ただ漠然と思い付きを想像しているのでは、その描写力や現実感も違ってくるってだけの事。

それを現実レベルに落とし込んで具体化させていくまでの速度と実現性が違ってくるってだけの事である。要は、出口に近い所まで想像できている人の想像力と、入り口からちょっと入った位で、全くそういう事を分かってない人の想像力ってのは、当たり前に違って来る。

(1)でも言った事だが。

ギターの事など、あまり気にもせずに、ただ、自分の横にいて、漠然と何かを弾いている、って位しか想像してない人と、百戦錬磨のボーカルで、少なくとも音楽が分かっていて、ギターにこんなプレイしてもらいたい(例えば、パワーコードで強いリズムを刻んで欲しいとか)ってのをイメージしてる人と。

当然、具体化に向けての速度なんてのは変わってくる。

前者の人ってのは、よほど察しのいい、モノの分かったギタリストが参謀にでもつかないと、その漠然とした言葉から、その人の意図を汲み取るなどという事はしてくれまい。

少なくとも、その関係は対等ではなくて、サービス満点の執事か子守りでしかないと思う。AI作曲でもした方がいいんじゃないの、ってのは、実は、そのレベルだと思うけどね。よほど、何か人格や人柄に魅力や不思議な吸引力があるとか、それこそ、最初のボーイ・ジョージみたいに声に凄く魅力があるとかでもない限り、そんな一方的な奉仕みたいな関係をいつまでも続けられるはずもない。

後者の人は、少なくとも、自分の相棒たるギタリストに「こんな狙いがあるんで、こんなリズムを最初に刻んでいてほしい。」と口に出来るわけだ。

何したいのか分からないけど「ああ、イイよ。」即座にアクション出来る所まで、伝えてくれている訳だから。そういう人たちが、別に楽譜など書く必要も無かろうってだけ。

つまり、個人の想像力においても、その人が語る「イメージしてる」って言葉の中には、実際には天と地ほどの開きがあって、それは、現実の実力差以上に残酷でシビアなものだったりするのだが。

困った事に、どっちの人間も「何となく、思いついただけ。」と語るのである。「思い付き」なんて上辺の軽い言葉の中には、実際には、それ位の差がある事を自覚してない人は少なくないのだろう。

そういうイメージングの経験の全くない人

当然、そういう事を全く考えた事のない人でも、ギターは練習すれば弾けるようになるし、理論を勉強すれば曲だって書けるようになる。

けど、それは「過去の学習の再現」にしかならない訳だ。

自分の学習の癖や練習の癖が、いい意味でも悪い意味でも常に出て来る。
それどころか、悪癖も含めて、全てが似通って来る。

過去の自分なり他人の経験を元に、何かを再現するしかできないのである。
(別にそれが悪いと言っている訳でない)

ただし、それは、自分がかつて学んだこと、技術の癖、みたいなものの塊ではあるけど、型にはまって抜け出せない、みたいな事になる事もしばし。

だって「再現性の作曲」だから。

他人がやってる事を、そのまま真似るとかね。

昔は、流石にそのレベルまでに陥るような人はおるまい、と思っていたが、昨今、実はけっこう、こういう感じの人はいるんじゃないか、という感触がたまにあるのが怖い。

真面目に練習に励むとか、勉強に励むのはいいんだけど、この人、何か自分で何か新しいものを作りたい、とかと思ってる訳じゃなくて、ただ真面目に何かに取り組むのが好きなだけなんじゃないか・・・とかね。

悪いことではないし、練習してうまくなれば、当然、本人の達成感は得られるわけなんだが。

けど、この人の作品、確かにこの人が作ったのかもしれないけど、ことごとく過去のパターンとセオリーを踏襲してるだけで、自分で何かを工夫したとか、ここをこうしてみた、みたいな試行錯誤や、その人の考え方が一切入ってないんじゃないか、みたいなものを突き付けられてるような気分になる事はしばしある。

そういう作品の完成度が高くても、どうにも褒めどころに困る、みたいな気分になるんだよな・・・作った人の感情や考えが、一切内側に見られないような、それでいて、その人の知識と技術の集大成みたいなものの完成度の高さ。

これを、素人の人が評価するのは、難事業だろうなぁ、とは思う・・・。技巧は卓越してるけど「のっぺらぼーで顔が無いことへの違和感」を表明するのは難しいぞ・・・。

作った当の本人が、ああ、それでいいと思ってます、って、明確な意思と考えをもって、そういう作品を敢えて作っているのならともかく。

時に、作ってる本人が、よく分かってないで、真面目一辺倒だからこそ、その落とし穴にはまっているってのは、しばしある事だ。

実は、想像力を使わない、記憶力だけに頼った作曲、というのも、音楽上ではできてしまうのだ、ということ。料理みたいに、食べられれば、おいしければ、別に誰が何作ろうと構わない、みたいなのを、音楽でやらかすと、一異性(ユニーク)なんてのはどっかに消えてしまうものだと思うけどね。

当然、その先に何が起こるかは、全く考えられないのだろう・・・。
イメージングの訓練をしてないのだから。

音楽への向かい方、人の追求の仕方は色々ある確かに思うのだが。

少なくとも、ポップスだのロックだのってのは、他ならぬその人がやるからこそ、っていう「創造力」や「一異性(ユニーク)」を求められてる現場なんだと思うのだが、そこに一番、向いてない人が殺到して来てるんじゃないか、って思うようなこの状況・・・

先生から課題出されないと、何も出来ないこなせない、って人が、太刀打ちできる現場じゃない気はしてるんだが。

他ならぬあなた、でなきゃいけない事を、心底真面目に考えなきゃいけない現場に、その事を一度も真面目に考えた事のない人が、いきなり飛び込んでもどうにかなるとは思えないのだが。

結局、これまでの受験勉強や資格取得みたいなやり口で、一夜漬けと丸暗記に頼って、見てくれだけは一丁前に仕上げてるけど、中身は空っぽ、みたいな事に陥らざるを得ないんじゃないかって危うさ。

まあ、音楽がそうなったのなら、他はもっとそうなる。

何せ、本来は普通の仕事とは真逆の追求をするはずの事を、全部、ひっくり返したら、どうなるかって事への想像力も無いのだから。

想像力を必要とする現場で、記憶力だけの人の都合に合わせなきゃなんないとしたら、本当に想像力ある人は、相当に居づらいだろうね。

多分、それが君の悩みであり、苦しみなのではないか?

いや、答えなんか、ハッキリ書いてるんだけどね。

その自分の考えを、もっと深く、細部まで掘り下げて、細かく考えていくだけ、ってだけなんだけど。

自分の考えを具体化・具現化するってのは、常にそういう事でしかないんだけどね。作曲つーたって、それは何も変わらない話なのだが。

「美味しいラーメン食いたい。」

君にとって、美味しいラーメンってのは、どういうものなの?

細麺?太麺?ちぢれ麵?
味噌味?醤油味?塩味?

海苔はいる?チャーシューは薄切り?厚め?
ネギはいる?わかめ乗せる?もやし乗せる?

自分の食いたいものが分からない人が、他ならぬ自分にしか書けない曲を追求できるかって言われたら・・・それは無理なんじゃない、と答えざるを得ない。


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