アイマイナナニカ(1)
プロの聞いているものとアマの聞いているものが、致命的に違う狙いにあるんだろうね・・・
私がずっと長年喋ってきた事なんだが。 音楽を聴く耳を育む現場や機会が致命的に減っているのに、聞き手の耳が豊かになる事は無い。
では、何故、その良い聞き手を育むことに、音楽業界は向かわないのか。
良い聞き手がいなくなっていくのは、どこの方面からも、聞き手を育もうとする取り組みがなされていないからで、そこを早くから育てていく教育なり機会の場を作っていく事ではないかと思う。
そういう取り組みは、確かに『金にならない』どころか『時間がかかる』ので、誰もやりたがらないのも無理は無いのだが。
何せ、親ですら、子に接する時間がなくて、圧倒的な対話を欠いている。労働時間が圧倒的に増えていく中で、日々のやりくりの中、子供に必死で向かい合おうとしている人はどれだけいるんだろう。私はそれを懸念する。
とはいえ、そのやり方ってのも、様々な所でちぐはぐで噛み合わない。
例えば、の話。
子供を高級フランス料理の店に連れて行って、早くからそういう機会に触れさせたい、と思った親が、子供にテーブルマナーを教えもしない、挙句、泣くのを止まないみたいな状態で連れて行ったら、周りの皆は、そりゃ引きますよ。何かを学びだす対象年齢って確かにあるんだと思う。
要は親御さんも、そういうことをある事など知らなかったり、分からぬまま、ずっと音楽に何となく触れてきた以上、子供にも、アドバイスはできないのも分かるのだ。そうした形で何となく触れる、っていう形でしか、音楽を教えられない。
けれど、私たちの親の世代は、ずっともっと音楽について、知識はあったような気がしている。様々学んでいたと思うのだよね。
私が、自分の親がびっくりしたのは、父親に
『何で英語の歌を聞かないの?』
と聞いたら
『英語の歌で歌われてる英語は俺には難しくてな。学校で聞いた英語じゃ全然わからないんだ。』
私の父は、キッチリ音楽を聞いた上で、そういう事を私に教えてくれた。その上で歌詞を見たら、確かにその通りだった。
さらにうちの母に
『今、バンドでボーカルやってんの。』
と言ったら
『あんたは自分で演奏するよりも、ほら、後ろにいる卓いじってる人の方が向いてるんじゃないの?』
ゲッ!あんた、何でそんなとこまでよく見てるの?
もう少し昔は、ある程度の疑問を、普通の一般人であるはずの親たちが、それなりに分かってて答えてくれたんだよなぁ・・・。
それは、私の周りの人たちが特殊だったのか知らないけど。でも、古ぼけた小さなレコードプレイヤーが山形の実家に置いてあったのは、確かにオヤジも音楽を好いていたのだな、ということ。
そうやって、色々、子供も音楽を聞きながら、周りのいろんな人たちに疑問を尋ね、問いかけ、何かを学んでいくのだが。
その時に、周りの大人が、音楽について少しでも知識を持ってない限り、周りの大人との対話を諦め、自分周辺の、同世代での繋がりから学ぶしか無くなる。
そこで、無手勝流の我流でも音を出すことが出来た人間と、コピーバンドからでも少しずつ糸口をつかんだ人間以外は、一体どうしたらいいのかも糸口がつかめず、音楽の門の前をうろうろしたまま、彷徨ってしまう。
あと、ここで最大の問題は
『最初に心を動かしたものからは、中々離れられない』
っていう問題があって。そこから、他のものに目を向けさせるための教育をしなければ、当然、他の音楽に興味を持たなくなるのですけど。
だから、様々な音楽との違いを比較、検証しないまま、ずっと最初に聞いているものから抜け出さない。
言ってしまえば、好きで聞いているだけだったら、他の音楽と悪い意味で比べる必要も無いのだ。それだけ聞いていればいいんだから。 比較してまで増やす必要がない、っていうだけ。
だからすぐ『自分の音楽を否定された!』と言い出す子たちが出て来る。
そういう子が作曲やバンドに向かっても、他人を認めるとかできなくて、結局、同じバンドを好きになった子だけで固まりたがるのも、それは当たり前っちゃ当り前のことでしか無く。
皆、何となく漠然と音楽に触れているだけ。
そういう状況下で、ハイエンドオーディオやより高度な演奏とか、興味を示せ、というのは難しい。
どころか
『こういう音楽もあるんですよ』
『で?だから何?俺、これが好きだから、別にそれは要らない。』
にされかねないのも、また当然の話である。
だったら、積極的に、音楽を知ってる人で心ある人たちが、子供たちや若い人たちや困っている所の前に出ていくしかないじゃない、という話にしかならない。
別に、その時に、作り手を育てるのではなく、音楽とはこういう向かい方をすると、もっと世界が広がって楽しいと教えるだけでいいのだ。
それを手がかりとすれば、それが音楽という大海原を進むための羅針盤になり、自分の好きなものがハッキリするにつれて、道は広がっていく。
それで、音楽に深い興味を持ってくれた人を大事に育てていくしかない。 成り行き任せにしていたのでは、減るのは当然であり。
キッツイ言い方になるが。
音楽を分からない分からないと言ってる人達にも、我が身を振り返る事は必要になる。
その音楽を突き付けられた時に、興味も無い人に興味を持たせるだけの魅力があるかどうかという根本的な命題もあるんだよな。
しばらく、この話は続くのだけど、この章は、最後に、僕が本当に音楽に目覚めた時の話を、最後に終わろう。
僕が、所謂、洋楽というものの中で、自らの意志でこの音をつかみ取ったというものは覚えている。この曲だ。この音なんです。
何だ、Culture ClubのMiss Me Blindじゃないか。そうじゃない。
これは、Miss Me Blind と It's A Miracle 2つの曲が合体したMix なのだ。
敢えてこれなのだ。
僕は、イントロの、この力強い無機質なビートの中から、冒頭のシンセが鳴り響いている瞬間に、言いようのない胸を打たれるような切なさを感じたのだ。
『僕を見失ったら、哀しくなるよ』
ああああ。何だこれ。何だこの音?
日本人の出す音から、こんな哀しみは感じたことがないぞ!
Culture Club の Miss Me Blind という曲名だということを聞いて 、レコード屋に走り、音源を買い求めたら同じ曲は・・・
あれ?確かに同じ音は入ってるんだけど・・・曲の奏で方一つで、同じ曲がこんなに印象変わるのか?
えっ、シンセの音の聞こえ方も違う!ナニコレ???
そう。僕はラジオで、80年代のあの頃にあった、所謂、ロングバージョンや、エクステンデッドミックスと言われたものを先に聞いてしまったのだ。
そこで好きになった曲を調べ、買い求め、アルバムを聞いてみたら、それは似ても似つかぬ姿をしていた、という事。
音の鳴り方と構成を変えるだけで、これほど曲が変わるのか、という事に壮絶な衝撃を受けたのだ。つまり、いきなり『同じ2つの曲のアレンジ違いによる効果の比較』からスタートしてしまったという事。
ああ、僕は、あの時から、音楽の旅路に出方は分かってた。
だからライブアレンジとか、全ての違いを聞き分けて、何がどう鳴るのかを観察し続けた。
ピアノの前に立って、鍵盤の上から、その音を鳴らす。
あの音と同じ『音階』は弾けている。
けど、あの無上の切なさが醸せない。
なんだこれ!同じ音じゃない。
同じ音のようで、これは僕が欲しい音じゃない!
似ても似つかぬ、まがい物だ!
何でこんなことが起こる!
この謎の解明だけが全てだった。
その追求と、作曲とアレンジとミックスを操り、音楽の上の世界を変える魔導士になりたかった。
つまり、僕は最初から、音楽の旅路の始まりにおいて、たった一人で旅に出るしか無かった。周りにその事を上手に説明してくれる人もいなかったけど。
楽器の威力は、それらの魔法により、変幻自在に変えることが出来るのだという事を。
彼らの音楽に教えてもらった。そして、僕はその魔法の旅において。
あの、自分にその事を気づかせてくれた哀愁を醸すシンセサイザーの音に勝るとも劣らぬ、自分だけのアトミック・バズーカを手に入れただけなんですけどね。
切なさの音を単独でも醸しかねないほどの。
僕の旅路は最初から『アイマイナナニカ』は無かったんだ。