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赤いシャツと夏の夜

深紅のシャツに触れると心臓の鼓動は耳の鼓膜が破れたかと思う程に頭に響いた。

薄らと開けた瞼、目に映るのは僕の憧れだった夏菜子のくしゃくしゃの笑顔。

窓から入る生暖かい風が夏を告げる。

----今朝 AM11時05分----

意識の遠くで重い音がガシャと響く。
「あっ。」
と意識が覚醒して、ベッドから身体を起こした。
東京の郊外にある7畳1間の僕の家なのは間違いない。
なのに僕以外の気配を感じて首に生暖かい汗が流れている。

ガシャ  ガシャガシャ

先程の遠くで聞こえた音は玄関の扉を開けようとする音だった。
部屋に勿論、誰もいない。

「この匂い....」

甘い匂いがする。脳が溶けるような、甘ったるい、くすぐったい匂い。
瞬間に、この部屋に誰かがいたんだ。
そう感じた。それも多分、女だ。
それでいて、懐かしい匂い。

ガチャン

玄関の扉が開いた音がした。
ベッドから玄関までは見えないが、コトンと靴を脱いだ音が聞こえた。

築36年のアパートの床はミシッと軋む。
咄嗟に身の周りに何か身を守れそうなものがないかを探した。何もない。枕元にある携帯を握った。汗で携帯が滑る。


「ただいま。」


自分の目がこれ程見開くことはあるのだろうか。
思わず声を失って、目の前の光景に身体は蝋で固められたように動かなくなった。

夏菜子だ。

「...なんで....。」

喉から搾り尽くしてでてきた言葉は部屋をふわふわと漂っている。舌もあるんだかないんだか感覚があまりない。

身体が動かない。
何かがおかしい。腰から下に痛みを感じる。

布団を手で勢いよくめくると、腰から下はベッドを周回して鎖で繋がれている。
理解が追いつかない。
腿は鎖の周辺から青黒くなっていて、締め付けられていた時間の長さを教えてくれる。

おかしい。

なぜ気付かなかった?
何で夏菜子がいる?

おかしい。

目の前の夏菜子は冷ややかな笑顔を見せているが、綺麗で大きな目が恍惚と輝いているのが奇妙でアンバランスだ。
顔の作りは誰が見ても端正な顔立ちで、背も世の中の男性くらいはあるので目を引く。

「寝てないと駄目よ。良い子に寝てて。」

夏菜子の手にはナイロンの買い物袋があり、その袋を床に置くと、ゴトンと重い金属の音が響いた。

「今日は良い日ね。外は暑いけど、天気は良いし。それに、再会? そう、再会。...その、白いシャツ、暑そうね。脱がしてあげようか?」

昨日は夜、家に帰ったとこまでは覚えてる。
いつもの駅に近い居酒屋で呑んで帰った。
ただ、昨日は呑んでる時から身体がだるくなって、眠くなって、我慢できずに帰ったんだ。

シャツは汗を吸って、身体に張り付いている。下は下着1枚で締め付けられた足が良く見える。

そんな事を考えていたら、不可解な状況とは裏腹に意識が遠くなっていくのを感じた。

「眠りなさい。」

意識の遠くで、甘い声が聞こえた。


夏菜子とは会社の同期だった。
新卒で入社した会社で知り合い、最初の飲み会で連絡先を交換した。
共通の歌手が好みで、会話が盛り上がってデートをすることになった。
それからは奇跡みたいだったけど、なぜか緊張して「付き合ってください。」が「一緒にいてください。」になった告白で僕達は付き合った。

その2年後に僕は東京に転勤が決まった。
夏菜子は寂しがったが大阪の本社に残った。

東京に行ってからもたまの連休でお互いに行き来して逢瀬を重ねた。


トントントントン トントントン

けれども僕には彼女ができた。

トントントントン トントン

夏菜子は僕たちの子供を授かった

トントントントン トントントン


僕は逃げた。
街を歩いていて夏菜子に釣り合わない僕を見る目が痛かった。
近くにいた、その場の、優しさに逃げた。


夢を見ている。

遠くで鈍い、骨を断つような音が聞こえる。
何度も、何度も。
夏菜子の泣き叫ぶ声も交じる。

ドスン ドスン

血の匂いだ。甘い匂いに混じる。



夜の街の音が聞こえる。
起きれる。
そう思った。

ゆっくりと目を開けて部屋を見るとテーブルの上にお皿があり、上には黒い塊があった。

何だか分からないが、腹の底から逆流してくる気持ち悪さ。生ゴミの匂いに甘い匂いが混じり耐えれない。

「名前、どうする?」

夏菜子はテーブルの横に頬杖を付いて座っていた。
声は出ない。
吐き気を我慢するのと、夏菜子の氷ような瞳から目が離れず、金縛りのようになっている。

「いただきます。は?」

夏菜子は溜め息を軽くつくと、テーブルにあったスプーンを手に取った。
皿の上のそれをすくって、僕の口に運ぶ。

「あーん。して。」

夏菜子は指で歯をこじ開けてスプーンを捻じ込む。

「噛んで。良く噛んで。良く。」

僕は寝たまま抑えられずに吐いた。

「あぁーぁ、可哀想。お仕置きね。」

夏菜子の手には包丁が握られている。
身体は動かない。

ズブッ

鈍い音が聞こえた。

昨日から着てる白いシャツが深紅に染まる。

夏菜子の美しい笑い声が部屋に響く。

ズブッ

ズブッ

静かな夜に夏菜子の鳥のような笑い声が響いた。



#2000字のホラー

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