2-9 反転が得意な「ボウ」は運命を好転させる名人。
前提として、心や霊やメンタルという存在として確かめることのできないものは、無や空ではなく、実態であるということ。実態とは、肉体とそれを取り巻く居住環境やあらゆるインフラや植物や無機物や空間を取り巻くすべての、物体のことであるということ。
これを反対に見ると、肉体の中に存在すると思われていたものは、中にはなく、すべて物体として可視化されているということであり、人は皆、この可視化した心の中に生きているということである。
物質は非物質からできている。
このことは、意識を使えば使うほど、物質は増幅していくという、なんとも厄介なものということになる。
反対に意識から外れたものは、それ自体、何も存在しないものなので、それを見出すことは、容易ではなく、意識に表そうとした瞬間に、物体化してしまう、真逆のものなのである。
「ナイナイ」の世界の「ボウ」というものは、意識の外にある。これを理解する必要はない。理解できないものではないが、理解と同時に、物質化してしまい、何の役にも立たなくなる。
これまでの人の世界は意識の物質化による豊かさの享受がテーマであった。だが、既に意識は多分野に拡散し、物化した意識に乗っ取られて、意識を捨てるというような、癒しや断捨離がもっとも尊重される、人類の課題とまでなっている。
意識は物質を意識する。その意識の先は、過去の意識へと向き、その過去にさらに構築すべく、意識を重ねていく。
「ボウ」という「扉」の向こう側にある、原初的な意識の原材料は、まだ、意識によって固められていない、無形、無目的、無時間、無所有などの無限界物である。
そして、その「ナイナイボウ」は既に出来上がった意識体である物質化した過去を溶かし再構築するものとして、物質の反転化、過去への回帰をもたらす、非物質化を容易にする、不思議な物なのである。
このことは、理論ではなく、実際であり、体験である。流れる時間を反転させる。そこに、「扉」の本当の意味があるのである。意識の外側への真の探求こそが、この新しい、人類の可能性をもたらすものとなるのだ。