本の感想58『未必のマクベス』早瀬耕
IT系企業Jプロトコルの中井優一は、東南アジアを中心に交通系ICカードの販売に携わっていた。同僚の伴浩輔とともにバンコクでの商談を成功させた優一は、帰国の途上、澳門(マカオ)の娼婦から予言めいた言葉を告げられる——「あなたは、王として旅を続けなくてはならない」。やがて香港の子会社の代表取締役として出向を命じられた優一だったが、そこには底知れぬ陥穽が待ち受けていた。異色の犯罪小説にして、痛切なる恋愛小説。
本の背表紙より引用
この小説は、タイトルの通りシェイクスピアの四代悲劇『マクベス』を土台にしている。
裏表紙を読んでから気づいたけど、この本は恋愛小説だったんだな。なんか気取ってるなぁとか、こんな状況でよくカッコつけていられるな、とか思ったのも腑に落ちた。といってもバリバリ痛い感じの、しょうもないようなタイプの恋愛小説ではなかった。
以下、小説から派生して思ったこととか知ったこととか。
漫画や小説の登場人物は、作者の理想像や価値観の中から生まれてくるしかない
まあ当たり前というか、誰でも分かってることを改めて書いてるみたいなんだけど、今回しみじみ感じたというわけだ。
例えば、やはり一定数、「自身の理想像」を主人公に当てはめていく作家がいる。「現実でこうなれたらなぁ〜」って思ってるだろうなぁというのが、作品によってはかなり伝わってくる。今回のは特に思った。複数言語が聞き取れたり、女性の前でタフに振る舞ったり、自分の中でこだわりのカクテルがあって、あるバーではそのカクテルの名付け親にもなったり。
GANTZを読んでても思ったなぁ。
で、読者も、自分の中にある理想像や、価値観とかと重ねられる部分がでてくるから物語に没頭できたり共感できたりする。
ちなみに、現実的な作品ほど、そういった作者の想いや内面的なものが良く見られる気がする。(GANTZは全然現実的じゃないなぁ)
歴史物とか実在した人物を書いた物語を除く、フィクションに出てくる登場人物は、作者の頭の範疇に限られる。だからこそ、出てくる人物の一人一人からも、作者の価値観や普段の意識や考え方が読み取れる。
2人しか知り得ないであろうエピソードを暗号とするやつ
よくドラマやアニメで、
『俺だ!顔は変わっているが確かに俺だ!ほら、子供の頃公園で缶蹴りしてたとき、使うのはいつもウルトラマンソーダの缶で、もう出たことがあるパッケージのやつだっただろ!」
みたいなのがある。
相手が整形していたり、暗闇で姿が見えなかったり、久しぶりの再会すぎて相手を識別出来なかったり、変装していたり、状況はいろいろあるけど、相手を識別する方法として使うのだ。
これ、現実で一度くらい経験したい。
積み木のカレンダーは、6と9が対称的な形だから成り立つ
積み木のサイコロでできたカレンダー(キューブカレンダー)ってたまに見かけるよね。あれって実は、6と9が区別できてしまうと構造的に成り立たない。
6面しかないサイコロで、数字で1〜31日までを表現するのは本来不可能なんだけど、6と9が対称的なおかげで成り立つことができる。
だから、9の下に線が引かれているような、6と9が区別できちゃうようなフォントの積み木カレンダーがあったら、違和感を持った方がいい。スパイの暗号文とかが中に隠されているかもしれない。
人は、イレギュラーな瞬間に新しいことを発見できる
主人公は、日本を離れてマカオや香港(この小説の舞台は主にその二つ)に長く滞在するわけだが、住み慣れた環境を離れていろいろと発見をしていく。
今回みたいに、例えば海外で暮らすというのは多くの人にとってはイレギュラーだ。
その新しい環境で、マナーや食の違いといったことはもちろん、新しい自分自身も見つかる。意外と海外の人とはフレンドリーに話せるな、とか。
会社を起こしてみたら、意外と経営に向いていたり、新しいスポーツを始めてみたら、思いの外のめり込める自分がいたりと、人生にイレギュラーを起こすのは良いこともあるかもしれない。
ただ、ひとはストレスを嫌う。今のままの落ち着いた環境に浸っていたいという思いが心の奥底にあるせいで、なかなか動けないもんだよね。
名前と誕生日の組み合わせのパスワードは止めよう
生年月日や、名前を組み合わせたパスワードのセキュリティは無いに等しい。それが恋人や家族など近しい人のものと組み合わせていても大して変わらない。
名前と生年月日でできるパスワードの組み合わせの数なんてたかが知れてるから、ちょっとしたAIによって簡単に解かれてしまう。
ドコモ口座の例じゃないけど、いまの時代、どこからでもアタックは受けうる。三大キャリアの、なおかつ圧倒的に個人情報を扱ってるみたいな所が発生源になりえちゃう時代だ。なにより、情報は金と同じくらい重要だ。
「未必(みひつ)」
必ずしもそうなるものではない、という意味。
(未必の故意)
未必の故意は法律用語であり、「行為者が自らの行為から罪となる結果が発生することを望んいるわけではないが、もしそのような結果が発生した場合それならそれで構わないとする心理状態」を意味する概念である。「未必的故意」ともいう。
あえて大雑把に「未必の故意」を分かりやすく言うとすれば、「もしかしたらこれで誰かが死ぬかもしれないけど、まあ別にいいや」という心境が、未必の故意である。
ーWeblioから引用
「マクベス」
1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランド王マクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。
『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』と並ぶシェイクスピアの四大悲劇の1つで、その中では最も短い作品であり、最後に書かれたものと考えられる。
ーWikipediaより引用