それでも「私」は「私」。
さて「私」のことについて語ろうか。
別に求められてないだろうけど。
「私」は「私」であるが為の努力を怠らない。
けれどそれは、誰かの目に映る為の「私」なのだろう。
一生ついて回る「男でも女でも無い性」。
これのおかげで随分と苦労させられたし、今もなお困らせられることが多い。
洋服を買いに行ったとき「えっ女性物じゃなくて?」、病院に行ったとき「〇〇○さん」、郵便物「〇〇○様」、身体の特徴で男女分けられるのはまだ我慢出来るけれど、温泉の館内着が思いきり男女で分けられているもの。単純にトイレ。
まあ、数え上げればキリがないのだが……。
百歩譲って「あなたに女性を求めている」という恋人の発言は良しとしよう。
私は女性的であることを捨ててはいないのだ。
でも好きになるのは男性女性、人間に非ずとも、なのである(ここでは詳細を省く)。
型に嵌めるのはどうなのかとも思うが、異性装おおいに結構。なんなら推し(男性)がスカートを履いてたら、「私」も履くじゃんてなるし、別の推し(性別違和)が適合手術を受けた話を聞くと、羨ましすぎるのだ。
ここまでどっちだか定まらないし、定めなくても良いと思ってきたのだが、ときどき分からなくなる。
「私」は「私」なのだが、「私」で居て良いのだろうか。
この「私」という一人称、これは違和感を無理やりに落とし込んだ擬似のものだったのである。
公僕だって「私」と言う。
つまり「私」という一人称は都合の良い道具なのである。
「女声」で「私」と言えば、それはもう「女性」なのではなかろうかと、最近よく思う。
そこは気持ちが悪いと思うし、音声アプリで出会いを求めている人には本当に申し訳ないが、「私」は「私」であって、「女性」ではないのだよということを、声を大にして言いたいし、今まで「私」を「女性」だと思っていた人、ごめんなさいなのだけれど、「私」は本来の意味の「女性」ではないので、納得いかなそうな顔をしているときは、そっとしておいてください。
ということを言いたかったです(急な小並)。
だけど「私」は「私」なんだなぁという変な思考。
チラシの裏にでも書いておけば良かったね。