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おじさんになりつつある俺はイマドキなインスタの使い方をするべき?

今日は中学校の同級生と飲みに行っていた.なので今はほろ酔い状態で書いている.変なことを書かないように気をつけたい.昔からの友達と飲むと話題は大抵同級生が今どうしているかという話になる.あいつは就職して東京にいるらしいとか,あいつはまた留年したらしいぞとか.今はFacebookとかInstagramから近況が知れるから,ほとんど会っていないやつでもどうしているのかわかる.このnoteのアカウントが気づかれるのも時間の問題かもしれない.恐ろしい.

Instagramといえば昼間にこんなnoteを読んだ.

これを読んでやっと腑に落ちた.ちょっと前まで高校にアルバイトに行っていてその時に話の流れでInstagramのアカウントを見せてもらったことがあった.その時(全然投稿してないな.今の若い子はもうインスタも使わないの?)って思ったような覚えがある.けど,今はInstagramでお店を調べるらしいって話を聞くし,未だにテレビではインスタ映えって言うし,街ではみんな写真撮ってるし,イマイチ納得いっていなかった.そうか基本みんなストーリー使ってたのか.この使い方は結構スタンダードなんだろうか.少なくとも同世代の友人はあまりこの使い方をしれない気がする.

”みんなお洒落なところに行きたい!や、美味しいもの食べたい!というモチベーションがあるので、当然“そのお店に行くと撮れる”お洒落な写真や、“そのお店で食べられる”美味しそうなご飯の写真がたくさん集まっている、インスタでお店探しをします。”

若い子がみんなストーリーに投稿しているなら,このお洒落な写真を投稿しているのは誰なんだろう.このストーリー中心に投稿するスタイルを知らない人・馴染めない人か,もしくはお店の投稿だろうか.もしこの先こういう使い方がスタンダードになってきたら,お店を探す時も店側の投稿ばっかりになっちゃう気がする.そうしたらみんなが感じているInstagramの面白さがずっと減ってしまうような.だからこの使い方をやめろというわけじゃない.どうなっていくんだろうなとちょっと気になっただけ.

ストーリー中心の投稿は結構かしこいと思う.実際,俺たちは同級生の投稿を話のネタにしているし.見られたくない投稿はなるべくストーリーの方がいいかも.けれど俺とか昔の同級生たちがそれができていないのは,なんとなく馴染めないからじゃないか.ちょっと年的なジェネレーションギャップのようなものを感じる.それでも若い子のような今どきな使い方をするべきなのか.昔Twitterを使いこなせていないおじさんおばさんを小馬鹿にしていたが,なんとなく気持ちが分かってきた.

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