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「笹倉蓮の人生の登場人物🕴」田上怜という男

田上怜
1995年5月3日生まれ(現在26歳)
ひじりSC→千里丘SC→近畿大学附属高→関西大学法学部 体育会サッカー部

今回は怜です!怜は関大サッカー部の同期です。

確か怜は覚えてなかったですが、
小学生の時に兵庫県神鍋高原で開催された神鍋カップで対戦しています。
少年サッカーでは毎試合前にお互いが整列して挨拶するんですけど、整列した時、向かいでなんかニヤニヤしてるやつおるなぁって思ってた記憶があります。そいつが怜でした。顔は小学生から1ミリも変わってません。
アジリティ(敏捷性)の高いドリブラーで、シンプルにうまかったです。


そんな出会いから6年の時を経て、同じ大学でサッカーをすることになり、彼は4回生の時にサッカー部230名を束ねる副将として活躍しました。

口ぐせ1「お前、サッカー部辞めろや」 
口ぐせ2「お前、やる気あんの?」   
口ぐせ3「殺すぞお前」        
口ぐせ4「ここは俺やろ」       
口ぐせ5「なんでやねん、ここは俺やろ」
口ぐせ6「おいおいおい、ここは俺やろ」
口ぐせ7「やっぱりここは俺やろ」   
口ぐせ8「やっぱりココアは森永」   


そんな彼は、めちゃくちゃに強気で自信家です。常に俺ならできるって顔をしています。態度もでかいです。あと、ムキムキです。

さらに、
生まれも育ちも大阪、ゴリゴリの関西人で、お笑いにもストイックでした。
アホなことするのが大好きな友人たちと共に、どれだけアホを極められるか?に学生時代の大半の時間を注いでいました。

↑彼の大学生活史上、多分1番バズったであろうコンテンツがこちら。提供:山根蘭丸君


そんな彼の尊敬するところは、
多くて絞るのが難しかったんですが、2つ抜粋して挙げます。


1つは

①強気と柔軟性のハイブリッド型人間であること


です。

ここまで読み進めて頂いた方には
ちょっと(?)は伝わっていると嬉しいのですが、
彼は超強気で図太く我が強いタイプです。
ドラゴンボールでいうところのベジータです。

「そういう人苦手だわ…」と思った方もいるかと思います。気持ちはわかります。笑
しかし彼は図太い頑固者かと思いきや、
自我に執着することなく、より良くなる為に聞く耳を持つ柔軟性も併せ持つ素晴らしい人物です。
どちらかの傾向が強くなってしまう人が多いと思うのですが、見事に両立させている点が、18年歩んできた当時の僕の人生の中で驚きでした。

そして、この思考回路を支えているのが、


②自分を客観視した上で現状を打開していくマインド


です。

具体例を3つ挙げると、

1.彼は確か高校時代サイドハーフ(中盤の左右にいるポジション)でしたが、
自ら希望し大学時代はフォワード(最前線で点を取るポジション)へ転向。
→関大サッカー部という組織のスタイルと選手としての能力を把握した上で、最も活躍できる場所を見つけだす

2.フォワードとして活躍する為に、数字での分析を欠かさない。
→数値で見える化する

3.(これは無意識かもですが)
「関西大学の中の→体育会の中の→サッカー部の中の→副将兼ULTRASのメンバー」という自身の立場と、同期やキャラを踏まえた上での立ち回り。
→組織と人間関係の空気を読みながら動く

というような格好で、
僕は彼の言動・行動に尊敬の念を持って観ていました。




また、上記の①②を象徴するエピソードとして
特に印象深かったのが、大学3年の夏に彼が放ったひと言です。


当時、僕はドクターもお手上げの足首の痛みに悩まされており、半年以上プレーできず復帰の目処も立たない時期でした。

そこで、僕はなんとも情けないことに
自分と向き合わず、自分の状況を環境や他人の責任にしていました。完治出来ないドクターの能力批判や怪我をした過去を悔やむ等。
そこには何の解決策もないにも関わらず。(当時の僕をシバきたい)

そして同時期、怜も怪我から復帰したばかりの状況でした。

そんな最中、
「さすがに俺ら、厄祓いした方が良くない?」
という怪我人メンバーで
足腰の神様「護王神社」にお参りに行こうとなりました。

左から、たかし、僕、怜、のすけ
みんな黒いなぁ笑
当時のInstagramの投稿📸



その日、護王神社に向かう為に関大前通りを歩いていた時だと思うんですが、
僕が、「あ〜、なんかええことないかなぁ」と何の気なしに言いました。

そこで、怜がポロッと

『俺、「なんかええことないかなぁ〜」っていう言葉嫌いやねん。
そんなん自分で作るもんやろ。』


と言いました。

この言葉に、僕はハッとされられました。



彼は、目の前に起こる出来事を
自分で創り出すものだと捉えている。

僕は、目の前に起こる出来事を
他者や環境が与えてくれるものだと捉えている。


この物事に対する捉え方には、
大きな大きな違いがあると学びました。
(当時を知る心優しい方は、僕の怪我の闇深さに同情してくれるかもしれないですが、僕の境遇がどうであれ、「物事をどう捉えるか」という点において大きな違いがあることに変わりは無かったです)


この考え方は僕に大きな影響を与え、
自分でコントロールできない物事(他者や環境、過去や不確実な未来)について一喜一憂するのではなく、
自分でコントロールできる物事(今の自分の行動・言動)だけにフォーカスする考え方を創るきっかけになりました。
(後にこれを歴史上の偉人たちがインサイド・アウトとか課題の分離とかニーバーの祈りと呼んでいることを知る※サッカーに関すること以外も勉強しろ当時の俺)


そんな怜とは、社会に出て4年が経とうとしている今でもたまに連絡を取ります。

お互いにアホなことばっかりしてた大学時代でしたが、
2人で会ったり連絡を取る時だけは真面目な話ばかりになるという現象は学生時代から変わっておらず、
テーマがサッカー部のチーム運営やプレーについてだったものが、キャリアに関することやプライベートについてに変わっただけです。
(あと、父の教育がやたらと厳しかったという謎の絆も変わってない笑)

20代も残り4年、
お互いに、いい意味で変わらず頑張ろう!!

また長期休暇はサッカー部で集まりましょう👍

2017年度ULTRASメンバー
練習後の1枚📸
(撮影者:りなorゆい?)
ミスチルのLIVE2人で見に行った時
(じゅんチケットありがとう)


124番ですか?たくじです

以上😌

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