ツエーゲン金沢のパートナーになった本当の理由
どうもこんにちは。私、Twitterの名前では匿名か匿名でないか、あやふやなアレですが、株式会社LATERALの代表をしております。プレスリリースが出ましたとおり、2022シーズンのパートナーになりました。クラブ関係者の皆様。先輩パートナー企業様。サポーターの皆様。よろしくお願いいたします。
私の仕事の話はいったんちょっと横に置いておきますが、今回かなり検討しましてパートナーになりました。自分のツイートでは後援会の盾が8枚たまったたからという書き込みをしましたが、ある意味軽いネタでもあったのでもうちょっと深く書こうかなと思います。昔話からはじまるので、少々長くなるかもです。いや長くなります。たまにしか書かないnoteなんで勘弁してください。
よろしくお付き合いください。
1.ツエーゲン金沢を知った2006年
日本代表がワールドカップの常連になりつつあるこのころ、石川県には当然まだJのクラブはありませんでした。天皇杯にテイヘンズや金沢SCが挑戦していた頃だったと思います。このころからタクシーの後部や側部に「石川県にJのチームを」と書かれていたのも記憶しています。(たまにまだ見ますよね)2006年にツエーゲン金沢が出来ると聞いたときに、TVゲームのサカつくで遊んでいたことを思い出しました。「自分たちの街を拠点にJリーグが出来たら、それはそれで面白いね。」って。正直それぐらいの興味感でした。ちなみに、この2006年に今の事業を個人で創業しました。そんな頃です。懐かしいです。
ただ、残念ながらこの頃のツエーゲン金沢の歴史は、あとで宇都宮徹壱さんの著書で追っかけながら知りました.非常に興味深い内容が多く、現在のツエサポさんにもこの辺の本を読まれることをおすすめします。宇都宮さんのルポ以外で細かい記録が残ってるものは少ないとおもいます。当時ここでサポ沼にハマっていたら今頃どうなってたんでしょう。想像すると非常に危険で怖いですw
2.ツエーゲン金沢に興味を持った2010年
ごめんなさい。このころはツエーゲンの試合は見に行ったことはなかったんです。年に1回、西部緑地にくるガンバ大阪の準ホームの試合を見に行ってました。2009年の名古屋戦を鮮烈に覚えています。ワールドカップ後の遠藤保仁をお目当てにしているお客さんの多い事w(当然ですね)そんな中、当時、隠れグラサポの私はアウェイスタンド上段でこっそり試合を観戦。ピクシーの監督姿を愛で、玉田の同点ゴール、マギヌンの劇的な逆転ゴールで勝利し、意気消沈するガンバサポの隙間を縫って気持ちよく帰路につきました。つまり、代表やJリーグの有名選手は知ってたんです。よく見てたんです。(↓名古屋さん、過去の試合のデータを残してるのすんごいです)
その頃のツエーゲンは上野監督になって、地域決勝でFC刈谷に入替戦で勝利し、JFLを決めた年なのですが、まだしっかり見ていなかったころです。コレより前にハマってたら発狂していたでしょう。
そんなまだ関心が薄い翌年2010年にビッグニュースが飛び込んできました。
【久保竜彦 2010シーズン ツエーゲン金沢に加入】
いや、びびりました。何が起こったかと。そんなことがあるのかと。
このニュースが流れた直後、ツエーゲン金沢のサーバーがアクセスでパンクして落ちました。まあ、なかなかの衝撃ですよね。
3.ツエーゲン金沢の観戦が増えていった2011〜2013年
ここから僕はちょくちょく試合を見に行くようになりました。
今年、三浦知良選手が加入した鈴鹿ポイントゲッターズを初めてJFLで見始めている方の気持ちに、もしかしたら近かったのかもしれません。
もちろん最初は久保選手目当てではありましたが、メンバー表を見て根本選手や、山根選手(永遠のお父さん)の名前を見かけて「おおお」となってました。この頃は最短で何年でJにいけるのかが毎年微妙で準加盟がなかなかもらえずやきもきしたまま、成績は正直余り芳しく無かったです。松本山雅や町田ゼルビアに試合にも応援にも圧倒された記憶が強いです。後のJ3優勝メンバーが加入しはじめた2013年から観戦にのめり込みはじめたと思います。SA席の真ん中で見ていたのがだんだんSA席ゴール裏の近くへ移動していた頃です。天皇杯で横浜FCに勝って、日本平の清水戦でNHKが中継が入り、阿渡選手や佐藤和弘選手のゴールが画面内のテロップに出るのはぐっときましたし、ロスタイムで追いつきひっくり返された展開にもかなり興奮しました。
第93回天皇杯3回戦 清水エスパルス-ツエーゲン金沢 公式記録
そう思うと、僕のちゃんとした観戦はJFLからって事になります。
「うちのチームやっとJリーグって届くんじゃない? え?J3が出来るの?ほんとに?」
そんな気持ちだったことを思い出します。でもまだ観客でした。私。
4.ツエーゲン金沢がJリーグに参入した2014年
ついにツエーゲン金沢にJのマークがつきました。J3だけど、紛れもないJのマークです。この頃から座る座席はゴール裏になりました。でもまだ声はしていません。爆心地のリズムに合わせて手拍子をします。このタイミングでシーズンパスはまだ買わなかったのですが、WEBサイトにひっそりと表示されている後援会に加入しました。
なぜなら後援会の特典として入場チケットがついてきたからです。
明らかにいままでと比べて観戦回数は増えるけど、シーズンパスを買うまでもないかもという自分が悩むほど、のめり込みのボーダーラインにいる私にとって、この後援会分で頂けるチケットは、親せきや友人を誘ったりも出来るうってつけの存在でした。もちろん自分の観戦も。
このころ事業は法人になっており、後援会費はもちろん経費にすることが可能でした。後援会WEBサイトにも会社名が掲載されますしね。(わりと大事)
そしてこの年の夏に、30番を背負った選手のプレーにくぎ付けになりました。
そう、我らが辻尾真二選手です。
「あのサイドバックやべえな。プレースキックやべぇな」と。
夏以降の快進撃はつづき、あれよあれよと上位に定着し、それに呼応するように座る場所は中心部に近づき、前列になっていきました。こっそり身を潜めながら。
そしてJ3優勝。
なんかすごい年でしたね。
5.ツエーゲン金沢が自分事になっていった2015年以降
記念すべきJ2の昇格。北陸新幹線の開通。この年の開幕はツエーゲン金沢にとってどこかで仕込まれていたんじゃないかというくらいの節目になりました。当然観客も増え、ゴール裏の人口も増えてきます。後援会はもちろん継続です。そして、子供を連れてついにアウェーに遠征も。初年度の快進撃は皆さんもご存じの通り。
金沢では独特の強いものに興味がある風潮の、「なんでライセンスがないんや」「なんでクラブハウスがないんや」問題まで勃発し、予想の成長以上に環境は変わりましたし、下からのし上がっていく選手と、上位リーグからのレンタルや完全移籍も増えJFLの頃とは選手層も変わってきました。
この頃の私はもうすでに毎日のニュースが気になり、試合結果も気になり。すっかり他人事から自分事になっていました。後援会には継続して入ってますが、シーズンパスも買うという状況にもなり、後援会でもらうチケットは毎年まわりに配るようになりました。ゴール裏の爆心地から少し離れた今の定位置に陣取るようになり、毎試合顔を合わせるご家族やなども顔見知りになり、声を上げて応援するようになりました。
入替戦も経験し、推しだった辻尾選手はチームを去ってしまい、それまで12番だった背番号を翌シーズンから推しの選手に替えるというガチ沼にハマったわけです。そこから僕はSBの選手に思い入れを強めたように思います。今でも僕にとって最高の両翼は右に辻尾真二(15)、左に野田絋史(18)なのです。
6.今そこにあるサッカーを愛せという言葉
2015年以降からありがたいことにツエーゲン金沢はJ2のポジションをキープしています。毎年いろんな事がありましたが、自分がサッカーを見る感覚や価値観がどんどん変わってきたのもこの頃からだったかもしれません。
勝敗だけが価値なのかと。
今そこにあるサッカーを愛せ
これは一部かいわいで有名なロック総統の有名な言葉ですが、大好きな言葉です。
なにも下部リーグ(地域リーグ)だけにとどまる話ではないと思っています。
ロック総統について詳しく知りたい人はいろいろ調べてください。いっぱい出てきます(雑な扱いですみませんw)反対意見が多い事も理解していますし、総統はよく炎上しに火を付けますので悪者に見られる人も多いかもしれません。でも本質を突いている言葉が多いです。
人口少子化の中、増え続けるJクラブ、都会と田舎の温度差や資金繰りや設備の違い、経営的規模や知名度的、選手層などなど、正直Jのクラブは全く公平な状況ではないのに同じカテゴリーに多くのチームが混在します。勝敗の結果で昇降格するから当たり前ですよね。ま、それが面白くもあるんですが。
もし、
大きなスポンサーが入って、沢山のお金がまわったら、すごいことになるかも。
もし、
降格してしまってスポンサーやお客が減ったら今よりレベルが下がるかも。
私はどっちになったって、今そこにあるサッカーを愛せば良いのかなと思います。
見ている、応援しているものがサッカーという競技以外に変わっていないんですから。
今できるなかで最高のことを目指してもらい、今そのときを愛するしか私たちには出来ないと思うのです。
サッカービジネスはいろいろな人の想いを背負って運営している分、おおきくその見返りを要求されてしまいますし、むしろそれを望む人が大半かもしれないです。当然そうなると思い通りや期待通りにならなくなると、感情的にもなり、攻撃的にもなってしまいます。
でも今一度立ち止まって、お互いが共有した時間を一番の価値にしていったり、
そのときの状況に合わせた楽しみ方をサポーターも探していくことで、
今そこにあるサッカーを愛する事につながらないかなと思います。
総統、解釈が違っていたらごめんなさい。
7.ツエーゲン金沢の挑戦の顕在化
挑戦を、この街の伝統に。
このスローガンが金沢にできて、すごく変わった気がしています。
ツエーゲン金沢が地域のために何が出来るかをいろんな形でチャレンジしている姿を私は勝手に評価しています。
ブラインドサッカーもそうですし、フードバンクの活動や、シャレンの取り組みなどがそうですよね。毎年の企画ものやキャラクターショーもです。いろんなものが形になって顕在化してきています。
いろいろな挑戦が価値になって、その魅力を理解してくれる人がもっと増えれば良いなと思います。将来的に金沢独自のサッカー文化が成熟するといいですね。
2023年9月に新しいスタジアムも完成します。また新しいお客さんも増えていくでしょう。
前述した、今そこにあるサッカーを愛してもらう為の価値観を、クラブ側が作ることにチャレンジしていているように感じています。なんかそんな気がするんです。勝手に解釈していますが。
これからもツエーゲン金沢の挑戦を見ていきたいと思います。
8.パートナーになった本当に理由は自分も挑戦すること
と、つらつらと書きましたが、
「結局おまえのいままでの思い出と感想だけじゃないか」
と言われても仕方が無いですね。
自分でもそう思います。すみませんw
コロナ禍になって観戦もやり方が変わってしまって、前みたいに出来なくなりました。いきなり昔に戻ることも出来ないでしょう。
もどかしさがある一方、ゴール裏ではクラップチャントの数を増やしたり、いろいろな挑戦をここでもおこなっています。
SNSでもお見受けしますがユニを着て野外清掃を独自でやったり、辻立ちを自主的に行われているサポーターの方もいらっしゃり、J2初年度の大宮戦で歓迎されたことが起点の独自のおもてなしや、相手選手やサポーター、審判団へのリスペクトや拍手などサポーターの新たな文化も生まれていると思います。
去年の秋、降格圏のさなか、私もここ一番で応援しようという事で協賛という形で山形戦に広告を入れさせてもらいました。正直、辻尾さんが営業でいらっしゃるのは反則ですw
試合会場ではこのフラッグを手に取られた方もいらっしゃるかもですね。
あの日、劇的に勝って伝説の試合になっちゃいました。カウンターで抜け出して僕たちの方にドリブルしてくる瀬沼選手の姿は一生忘れることはないでしょう。
選手の皆さんの頑張りで2022シーズンも闘う舞台はJ2になりました。
そして年が明けた今年。8枚たまってる後援会の盾をみて、いろいろ考えてました。
毎年いろいろあったなぁて。
自分への挑戦も含めて2022シーズンはパートナーになろうときめました。自分ではグッズもたくさん買えていないし、遠征も行けていません。コアサポーターさんはおそらくもっとお金を使ってる方もいらっしゃるでしょう。
私のできる形の挑戦が、ツエーゲンのためにちょっとでも役立ってもらえれば。
あの試合のような熱狂がまた生まれると良いなと。
あ、スタジアムでは良かったら、ロゴの入ったのぼりも探してみてくださいね。
さて、どの選手になっているでしょうか。
私は、WEBサイトを使ったご商売の相談をお受けしているお仕事をしています。
オフィスに張ってるポスターやユニフォームを見て、打ち合わせの中にツエーゲン金沢が出てくる事も多くなりました。パートナーになったからなにかを使ってやろうとかはあまり考えてないのですが、「Jリーグの話をしよう!」とか「ツエーゲン金沢の話をしよう!」とかいう延長でなにかのお仕事が発生すればそれはそれで面白いですし、知らない人へのきっかけ作りにもならないかなと言う想いはあります。
費用対効果は全く考慮していません(笑)でも興味がある人はご連絡くださいね。
コレもひとつの挑戦かな。
いろいろ書きましたが、またいつものゴール裏のいつもの場所で変わらず試合を見ることが出来れば、それだけで十分かなとおもってます。
それでは今シーズンも思いっきり楽しみましょう。
それぞれの挑戦をそれぞれの価値にしていき、
今そこにあるツエーゲン金沢を愛しましょう。
長文をお読みいただきありがとうございました。